世界的ヒットを遂げたダンス・ポップ歌姫、エイバ・マックスが語る「夢の実現」

「スウィート・バット・サイコ」で一躍世界的スターと化したエイバ・マックス


しばしの共作期間を経て、マックスは「エニワン・バット・ユー」をSoundCloudにアップする準備が整ったと感じた。その一ヶ月後、彼女のメールボックスは、マックスに会いたいと言うレーベルからのリクエストで埋め尽くされることになる。2017年、彼女はAtlanticと契約を果たし、翌年にかけて100以上の楽曲をレコーディング。そのうち半分は、デビューシングルのためのものだった。その中で一番目立っていたのが「スウィート・バット・サイコ」— —初期のレディー・ガガ、ケイティ・ペリー、そしてソロのファーギーと言ったアーティストの一番良いところを寄せ集めて、ポップモンスターに仕立て上げたような楽曲である。

「実はこの曲には、本当にいろんなバージョンがあったの」と、マックスは明かす。特に、50年代のようなドラムを使っていたことをよく覚えていると言う。「最終的にこの曲を選んだ時に、それは予め決まっていたことだったんだ、と直感したの」

アマンダ・エイバ・コチとして生まれたマックスは、小さい頃からスターダムに上がることを夢見ていた。彼女の両親はともにアルバニアからの移民で、母親はオペラ歌手であり、父はいつも家でピアノを弾いていたと言うほどに、音楽に傾倒していた親の元で育った。さらに祖父はアルバニアでコメディアンや劇場俳優として活躍しており、2人の祖母は楽曲制作をしていたそうだ。

「彼女たちはアルバニア語でたくさんの曲を書いていたの」と、マックスは語る。自身はアルバニア語を話すことはできるが、読むことはできないのだそうだ。「私は、音楽から離れることはできないわ」

コチ家はマックスが生まれたときにウィスコンシン州に移住してきたが、彼女が2歳の時に、ヴァージニア州に映ったのだそうだ。両親は彼女の音楽の才能を常に応援してくれたそうで、マックスが9歳のころ、ラジオ・ディズニーによる歌唱コンテストに参加するために、近くのモールまで連れて行ってくれたこともあると言う。R&Bに傾倒していたマックスはアリシア・キーズ、ノラ・ジョーンズ、マライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストンと言ったアーティストの楽曲を歌うことに夢中になっていた。しかしながら、マックスがポップミュージックシーンでキャリアを構築していくに連れて、友達との関係性に亀裂が入っていった。

マックスは「学校は、あまり良い経験ではなかったわね」と言う。彼女には1人大親友がいたが、それよりも、夢を追いかけることを考える方が多かったと言う。「私はいじめられていたの。同じ夢を持たない人たちと仲良くするのは、私にとってすごく難しいことだった。だからカリフォルニアに向かったのよ」

Translated by Leyna Shibuya

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