現場目線で振り返る、2010年代の日本語ラップシーン座談会

渡辺:私がTwitterに登録したのが2009年の6月で、当時はあくまで周りにいる音楽業界やヒップホップ業界の関係者の方たちとの情報交換や、USの最新情報をディグるためのツールとして使い始めたのを覚えてます。

TA:それ以前だと、情報交換はmixiが主流でしたね。当時のTwitterといえば、みんなで「テキジン」を50 Centにメンションで送ってましたよね。「日本でこんなムーブメントあるんだよー」みたいな感じで。ジブさんが先陣切って「やれ!」となって、フィフティも反応するっていう(笑)。

伊藤:最終的には、HOT97(NYのヒップホップ専門ラジオ局)でオンエアされましたね。

渡辺:Twitterの浸透もあって、USのシーンと並行して情報も追えるし、我々も情報を発信できるっていう。「SNSってこんなことできるんだ、スゲー!」と感動していたのが2010年頃でしたね。ちなみに、CHARIくんとTATSUKIくんは当時から現場でガンガン回してたんですか?

CHA:もうやってましたね。

TA:ブルマ(BLUE MAGIC)が始まった当初は、まだ宇田川に BOOT STREET(※)があって……俺もCHARIもそこの影響は大きいです。

※練マザファッカーの元リーダー、D.Oがプロデュースした渋谷・宇田川町のCD・レコードショップ。

CHA:その頃はまだギリギリ残ってたよね?

渡辺:BOOT STREETの閉店は2011年でした。

TA:HOMEBASS RECORDSやCISCOが潰れたのが、俺とCHARIがDJの専門学校に行ってた直後くらいなんで(共に2008年閉店)。閉店作業とか手伝ったよな。

CHA:行ったね。CISCOも通ってたなー。

TA:でも俺らは、宇田川町に吉野家があったのを知らない世代なんですよ(笑)。

CHA:「蝕(しょく)」っていつスタートですか?

伊藤:2005年頃かな。クラブで日本語ラップがかかるようになる以前の時期に、「日本語オンリーのヒップホップ・パーティ」というコンセプトで『蝕』というイベントをダースレイダーが主催してて、僕もレギュラーDJとして関わっていました。そもそも、ZEEBRAが日本語メインのDJプレイをやるようになったきっかけのひとつは、『蝕』に氏をゲストDJとして招いたから、なんですよ。

渡辺:「KUROFUNE」はもっとフロアで日本語ラップを聴こう、という趣旨のイベントで、日本各地をツアーでまわっていましたよね。それまでのイベントよりももっとフロアライクな日本語ラップをたくさんかけていたイメージです。そこから「24 Bars To Kill」などもヒットして、日本のヒップホップにおける作品の在り方もこの時期から変わってきたのかなと感じています。それは先ほど伊藤さんも仰ったような、USの最新ヒットと混ぜてかけても遜色のない日本語ラップが増えてきたというか。

伊藤:その試み自体は、2000年代前半にDEF JAM JAPANのようなレーベルが盛り上がっていた時期からあったんです。音質/クオリティ面やスタイルを当時主流のUSのヒップホップに近づけよう、という試み自体は、DABOのようなDEF JAM JAPAN所属アーティスト(当時)やDOBERMAN INCのような人たちが意識的にやっていた。だけど、当時のDJプレイはまだレコード中心で、USのラップほど12インチのリリースがなかったこともあり、かけたくてもかけられない音源も多かったんです。だから、先ほどのTwitterやネットの話にも繋がるんですけど、テクノロジーの進化っていうのがものすごく大きくて。USと日本語を混ぜてかけやすくなったっていうのは、Serato Scratch Liveなどのシステムを活用したデジタルDJスタイルが定着してからですよね。それが2000年代後半。

CHA:それはデカいっすね。


フランスのターンテーブリスト、DJ LigOneによるSerato Scratch Liveのイメージ映像。同ソフトは2015年をもってサポート終了した。

渡辺:お二人がDJを始めたのも、ちょうど同じ時期じゃないですか?

TA:俺たちは最初アナログで、日本語ラップはCDJでかけてましたね。

伊藤:Scratch Live自体は2000年代中盤くらいからあるんですよ。海外だとDJ AMやDJ A・トラックとかが使いだして広まって。 日本のクラブでもデフォルトで設備が整うようになるのが2000年代後半頃から。まさに、今話してきた時期だと思いますよ。僕もDJプレイでScratch Liveを使うようになったのは2006年頃だったと思います。

TA:俺やCHARIは最初の頃、「パソコンなんて邪道でしょ!」みたいにスゲー言ってましたね(笑)。

渡辺:当時、確かにその論争はありましたね。

伊藤:急激なパラダイム・シフトへの対応が遅い、というのはヒップホップ業界に限ったことではなく、日本人の保守的な国民性の表れですよね。今の若い世代はもっとカジュアルに新テクノロジーに順応している印象があるけど。

CHA:厳しい!(笑)。

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