現場目線で振り返る、2010年代の日本語ラップシーン座談会

KOHH、PUNPEEの台頭

渡辺:少し時間を進めると、2012年末にFla$hBackSの 『FL$8KS』 がリリースされています。

A氏:さっき話したようなことのすぐあとに、もうFla$hBackSが出てくるんですね。

渡辺:2012年はSALUが『IN MY SHOES』、AKLOが『THE PACKAGE』でそれぞれアルバムデビューしていて。


Febb、jjj、KID FRESINOによるFla$hBackSの1stアルバム『FL$8KS』 。その後メンバーはソロでも大いに活躍しているが、Febbは2018年に急逝。今もヘッズからの評価は厚い。



伊藤:だからやっぱり、2000年代後半頃に風穴を空けた次世代のアーティストたちの存在もあって、2012年にFla$hBackSのような若いアーティストが出てきやすい基盤が出来たんですよね。

渡辺:リスナーとしてもより親しみやすいというか、オラオラ系じゃなくても渋谷にいなくても、ラップやったり聴いたりしていいんだと思わせてくれましたからね。ちなみに、2010年のAmebreak AWARDSでは、ベストアーティスト部門にSLACKが選出されていました。その後、Amebreakが2012年の年末に新宿BLAZEで行ったイベントでも、SIMI LABやAKLOがパフォーマンスしていて。

CHA:それ、ハッスルさん(YOUNG HASTLE)が司会やってたなー(笑)。

渡辺:この辺りから、シーンが混ざり始めたような実感がありましたよね。

伊藤:いや、あのイベントの時は「混ざり始めた」ってよりは、「混ざりきらないな」という複雑な心境のほうが個人的には大きかったですよ。AKLOやSALUとB.D.じゃファン層が全然違ってたし。全方位的に日本語ラップ・ファン全体を取り込めるアーティストというのは、今も昔もそう多くないんですよ。例えばオジロ(OZROSAURUS)、般若、NORIKIYO、ANARCHYといったアーティストはそれが出来る人たちだけど、「日本語でラップしてる」という共通項だけでは全てのファン層を取り込めない、というのは今も10年前も同じだと思います。

渡辺:シーンが混ざる混ざらないで言うと、去年、他のジャンルの業界の方やリスナーの方から見ると、日本語ラップは既に広い海原のようになっているようで、それぞれのシーンが独立して、混ざっていないように見えると何度か指摘されたことがあったんです。例えばKANDYTOWNとkiLLa(※)のメンバーはあまり交流もあまりなさそう、とか。でも実際は、楽屋でみんな仲良く呑んだりしているんですよね。

※YDIZZY、Blaise、KEPHAなどが所属する東京のクルー。数枚のEPを経て2018年にクルーとしての1stアルバム『GENESIS』をリリース。

伊藤:90年代〜2000年代前半は文系とストリート/不良系、ポップ・ラップくらいしか区別がなかったのが、今は更に細分化してますからね。

渡辺:それだけリスナーも細分化されきているようにも感じます。あと、KOHHの出現もシーンを大きく変えた出来事だったのではないかと思いますが、どうでしょうか。

伊藤:Fla$hBackSの登場と同時期でしたよね。

渡辺:最初のミックステープ『YELLOW T△PE』が2012年ですからね。USのトレンドと並行という意味では、やっぱりKOHHはビート・ジャックが非常に上手かった。「WE GOOD」でYGをビート・ジャックする一方で、SIMI LAB「Uncommon」のビート・ジャックもやってて。そういうセンスとスキルで魅せてくれるのは新しい存在だったなと。

TA:「WE GOOD」もそうだし、SALU「STAND HARD」のリミックスもヤバかった。日本語ラップがクラブで当たり前にいけるんだなって思えたのは、この時期からですよね。

CHA:めっちゃ盛り上がってたもんね。



伊藤:「テキジン」にも繋がるけど、その辺りは318(※)の仕掛け方の上手さですよね。KOHH本人は「音楽を作りたい」っていうピュアにミュージシャン的な性格が強い人だけど、マーケティング戦略とか、そういうことに関して彼がアイデアを常時出してきたとは思えない。318のような裏方の仕掛けが功を奏したんだと思うな。

※2000年代からプロデューサー/ディレクター/A&Rとして広範に活動し、数々のラッパーをサポートしている。記事中の通り、KOHHを世に送り出した人物と言える。

A氏:DJ TY-KOH(※)も318がサポートしていましたもんね。

※90年代から活動している、川崎出身のベテランDJ。「リッスーーーン!」の名調子でアオリ役としても参加曲多数。

渡辺:そういうメンツが「BLUE MAGIC」に集ってましたよね。私もTY-KOHとはブルマで初めて知り合ったし。

CHA:あの時のブルマにはTY-KOHさんやDJ 8MANさんもいて、DJ NUCKEYさんもヘヴィ・ヒッターズに入って、あとはDJ NOBUさんもいて……。リリースライブに行けばアーティストとも会えたし。それが今は細分化しちゃったのかもしれませんね。で、KOHHはもうみんなに愛されてる感じで。

伊藤:KOHHはまだ20歳そこそこの次世代アーティストだった頃から、オジロやNORIKIYOのように全方位的にウケたんですよ。

TA:さっき伊藤さんが言ってたように、KOHHは純粋に音楽が大好きというのが良いと思います。

伊藤:あと彼って、世間の人が思ってる以上に「日本語ラップの人」ですよね。特に初期は。彼が面白かったのは、アプローチやトラックの選び方は現行のUSスタイルだったけど、ラップで用いる言葉自体はまったくアメリカに寄せなかったんですよ。韻も固いし、本人も公言してるけどKダブシャインの影響も受けてる。そういった「出自」が、いわゆる文系でナードな日本語ラップオタクな人たちからの支持を高める一因だっただろうし、ルックスや音楽的スタイルはもっとストリート寄りだったり、クラブ・ミュージックとしてヒップホップを聴いてる人たちにもウケたし、不良の人たちにもウケた。

渡辺:KOHHはS極とN極を引き合わせたような感じがしますよね。「田中面舞踏会」が顕著ですけど、あのイベントもネットを媒介にした、ちょっとナーディなパーティだったと思うんですよ。でも、実際に現場に行ってみると、ライブをやってるのはAKLOやKOHHだったり、DJ TY-KOHとKOWICHI だったり……。

CHA:BAD HOPも出てましたよね。

渡辺:超エクストリームなことをやってるラッパーって、どっちにも作用するんだなって再認識させられました。KOWICHIは、「ナードから見ても魅力的に見える」と言ってたし。

CHA:ヤンキー漫画的な憧れっていうか。

伊藤:アメリカのギャングスタ・ラップだって、消費してる大部分は郊外のオタクの白人だったんだから。それはもうファンタジーとして。ものすごくストリートなことを歌ってても、そういった環境に置かれていない文系の人たちも面白がれる。ただオラオラ言ってるだけじゃなくて文学性もあるのがよかった。​

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