タイラー・ザ・クリエイター『IGOR』を考察「2010年代を駆け抜けた青年期の終わり」

新作『IGOR』は、前作で見せた美しいハーモニーのソングライティングと、それとは真逆に荒々しい不穏なワンループのビートと騒々しいノイズ、過剰な「汚し」のエフェクトが共存する、実に不思議なアルバムだ。

「NEW MAGIC WAND」「WHAT’S GOOD」で聴かれる破裂音のビートはオッド・フューチャー時代の盟友レフト・ブレインの作るトラックのキナ臭さを思い出させるし、「I THINK」のレコードノイズは単なるブレイクビーツとしての「雰囲気作り」を超えてある種のアンビエンスとして耳に迫る。前述の「GONE, GONE / THANK YOU」での山下達郎「Fragile」サンプリングも、フィードバック・ノイズ調に歪んだベースと小銃の稼働音を思わせるドラムの間で、達郎は拡声器を通したような変調した声でコーラスしている(ちなみにこのサンプリング、正確にはサンプリングというより「弾き直し・歌い直し」の引用だろう)。



この「汚し」に、音楽的演出以上の、何らかの意図があるとすればそれは何か? それは「EARFQUAKE」のボーカル、その音質にヒントがあると筆者は推測する。イントロの印象的な”For Real,For Real...”というコーラスから、タイラーのボーカルが始まると、その声は異常にレンジの狭い、あたかも10年前のMP3プレイヤーのボイス・メモ機能で録音したようなビットレートの低さで、愛が失われゆく痛みと心の揺れを「地震(Earthquake)」に見立てたリリックを切々と歌う。

ボーカル・エフェクトとしての「汚し」──例えばラップに過剰なディストーションをかける、というテクニックは近年のアンダーグラウンドなトラップなどでよく見られるが(XXXテンタシオン、ゴーストメイン、スキー・マスク・ザ・スランプ・ゴッドなどなど……)、ここまで極端なロービット化というのは斬新だ。しかし、YouTube~ストリーミング・サービスを前提としたこの10年のリスニング環境を考えれば、時流を巧みに読み取った自然な演出かも知れない。「10年前のMP3プレイヤー」、あなたが若かりし頃に128kbpsで聴いていたあの曲を思い出して欲しい。



そもそも「汚し」とは若者の領域に属するものだが(ある種の自虐的ニヒリズムや、ファッションに顕著なように)、言わば、オッド・フューチャーの頃を思い出させる攻撃的なビート/汚しと、近年のソングライターとしての試行錯誤を感じさせる美しいハーモニーとが奇妙に共存するアルバムとしての『IGOR』。それはこの2019年に、これまでのキャリアを折衷・総括しようとする意志を感じないだろうか。「EARFQUAKE」のきちんと整理されたコーラスの音質に対して、タイラーのボーカルの解像度の低さは、青年期の終わり(タイラーは91年生まれで現在28歳)の、ある種の諦観の中で「揺れている」彼の声そのものだと言えないだろうか。

改めて彼とその仲間たちの歩みを振り返り、そして『IGOR』に耳を傾け、来たる次のディケイド──2020年代の彼の音楽を想像するのは、今が絶好のタイミングではないだろうか。




タイラー・ザ・クリエイター

『IGOR』
配信リンク:
https://lnk.to/Tyler_IGOR

本国公式サイト:
https://www.golfwang.com/

日本公式サイト:
https://www.sonymusic.co.jp/artist/tylerthecreator/

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