『町田くんの世界』石井裕也監督と岩田剛典が語る「愛」の哲学

成人の役者のほうが、「青春」や「高校生」を対象化して演じられる

─氷室という、コミカルだけど影のある複雑な役どころを演じるにあたって、どんなことに気をつけましたか?

岩田:氷室は、学園一の人気者で、それ故の「葛藤」や「闇」も抱えていて。脚本を読んだら、面白いセリフも散りばめられていて、すごく遊び甲斐のある役だなと思ったんですよね(笑)。石井監督とご一緒させていくのが今回で2回目だったので、今自分が持っている全てを出し切ろうっていうモチベーションもありましたね。役作りという部分では、高校生を演じるにあたって「高校生の要素ってなんだろう?」ということを考えました。それは「自由で型にはまっていない」というか。大人になっていくと、いろんな所作が型にはまっていってしまうんですよね。そこをいかに取り外していけるかが重要だったと思います。

─今、岩田さんがおっしゃったように、今回、高校生役を岩田さんや前田さん、高畑充希さんら役柄とは実際に年齢の離れた役者が演じている「違和感」というのは、石井監督としてもある意味織り込み済みだったのかなと思うのですが。その辺りはどんな意図があったのでしょうか。

石井:そこは話せばキリがないくらい理由があるんですけど(笑)、今の話の流れでいうと、岩田君が今「高校生とは?」を考えたって言いましたけど、それって「高校生」というものを対象化して見られているということなんですよ。

─確かに。

石井:それは、本当の高校生には出来ないことなんですよね。逆説的になりますが、そういう意味では成人の役者のほうが、「青春」や「高校生」を対象化して演じられるっていう。ただし、当然そこには戸惑いもあるし、逡巡というか、迷いが演技に出るじゃないですか。当然そうですよね。ただ、それさえも映画の力に転嫁できるというか、僕はフィクション映画の可能性を信じていますから。中卒の俳優が弁護士を演じられるし、億万長者の俳優がホームレスを演じられる。「凄まじく誠実なウソ」が、フィクションの力だと思っているので。

今、「織り込み済み」というふうにおっしゃいましたけど、確かに色々と疑念を持たれることは想定していて(笑)。ただし、それは表面的なものであって、映画で描くべきはもっと奥深くにあるんです。これも逆説的になりますが、可視的なことをやりながら、目に見えないものを見せるのが映画の醍醐味だと。そういう、表面的な部分で戸惑いのあるお客さんに対し、どういうものが提供できるか?というチャレンジが出来るんじゃないかと思ったんですよね。

─なるほど。今回、主演の2人はまさに「青春」真っ只中の「高校生」だからこそ、それを対象化して見られる役者とぶつけることでダイナミズムが生まれているわけですよね。

石井:その通りです。

─岩田さんは、2人と共演してどう思いましたか?

岩田:とにかく、まっすぐな演技をされていましたね。現場での様子は対照的ではあったんですけど。関水さんは、あーでもない、こーでもないとすごく悩みながら撮影に挑んでいたし、細田くんは吹っ切れているというか。自分の中にイメージが定まっていて、それを現場で微調整する程度で済むくらい町田くんになりきっていました。僕は町田くんと向き合うことの多い役柄だったんですけど、なんていうか、エネルギーを感じましたよ。瞳孔が開いてました。

─(笑)。監督は、2人に対してどんな演技指導をされたのですか?

石井:町田くんにとって重要だったのは「何も分からない」ということだったんです。なので、彼が「分からない」状態であるように仕向けていた部分があって。撮影前の練習期間から、「分からない状態でいい」「分かったフリをしないでほしい」ということを、そういう言葉遣いではなかったけど伝えましたね。

例えば、NGを出したときに「今の僕の芝居、ダメでしたかね?」みたいなことを、途中で言うようになってきたので、「そういう新人俳優らしからぬ態度は、一切やめて欲しい」と強く言いました。「君が客観的な見方をするようになったら、町田くんという存在から離れていく一方だから」って。とにかく、ワケわかんない状態でまっすぐ素直にぶつかってきてくれればそれでいいと。そういう演技指導でしたね。

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