KISS最後の来日決定、史上最大規模のファイナルツアーを12月に開催

フルメイク、そして、衣装も完全装備で、メンバーが待ち構えていた。
文:伊藤政則/MASA ITO

1977年に初来日公演を行ったKISSは、新聞社や週刊誌、雑誌等々から数多くの取材のオファーを受けていた。しかし、時間的な制約があり、その一部を囲み取材のようなスタイルでやることになった。音楽専科の福島編集長から連絡があり、その囲み取材に行ってくれとの依頼を受けた。ヒルトン・ホテルに向かうと、KISSの担当ディレクターである横田晶さんがいた。「頼みがある。次のアルバムがいつ頃、出るかメンバーに尋ねてきてくれないか」と言う。担当ディレクターなんだから、メンバーに直接、尋ねればいいじゃないかと思うだろうが、当時のKISSはなかなか気軽に会えるバンドではなかった。横田さんがバンドの会見場までアテンドしてくれて、各社のカメラマン4〜5人と合流した。なんと、会見場はホテルの部屋。ツアー・マネージャーがドアを開けると、そこには“地獄の使者”4人がいた。モンスター・ブーツを履いているから、天井に彼らの頭がぶつかりそうだ。カメラマンがいっせいにフラッシュを浴びせる。狭い部屋が芋を洗うような状態になった。こういう状況でインタビューをするというのは、どう考えても難しい。しかし、何とかインタビューを終えた。この時、音楽専科のカメラマンだった高橋さんが撮影した写真が、私の宝物になった。ジーン・シモンズとポール・スタンレーの間に立った私は、まるで、異星人に捕獲された人間のようだった。部屋の外に横田さんがいて、出て来た私をつかまえて「どうだった?どうだった?」と何度も同じ言葉を繰り返した。その後、横田さんがKISSのメンバーと会ったのかどうかは判らないが、担当ディレクターにとって彼らが近くて遠い存在だったというのが実に興味深かった。


Photo by Brian Lowe



2012年8月、オクラホマはタルサのBOKセンターで、KISS/MOTLEY CRUEのパッケージ・ツアーを取材した。バックステージでジーンとインタビューした時、こんなことを言っていた。

「U2や他のどんなバンドとも違って、我々はメイクし、重い衣装を着てからステージに向かわなければならない。KISSは本当に特殊なロック・バンドなんだよ」

しかし、その特殊性に徹底的にこだわり、それを頑として貫いたからこそ、KISSは伝説を築くことになったのである。この時、ジーンはKISSというバンドの孤高性を1つの側面から分析してみせてくれたわけだが、敢えてそれを指摘したということは、ひょっとすると、あの衣装を着てパフォーマンスする重労働に疲れてきているのかなと思った。しかし、誰しもが抱くKISSのイメージは、恒久的に存在するバンドという色合いが強く、故に、衣装の中身の人間が入れ替わってステージに立っても、誰も気が付かないんじゃないかというジョークすら、とんでもない絵空事とは思えなくなってくるのである。

『END OF THE ROAD WORLD TOUR』が発表になった時、それがKISSの終焉を意味するのか否かが判らなかった。実は今でも判らない。ツアー生活からは引退するが、KISSはその後も生き続け、時を見てバンドは再びファンの前に姿を見せるということか。ジーンの戦略を読み解くのは難しい。その答えを知るために、2019年12月のライヴに足を運びたい。きっと、そこには、近くて遠い存在であるKISSが鎮座しているだろう。約42年前のヒルトン・ホテルで感じ取った、あの異様なオーラを思い出しながら、彼らと同化してみたい……。

Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE