現場スタッフから見たフジロック黎明期の衝撃

苗場での初開催

ー苗場に誘致されたときにここがフジロックの安住の地になると思いましたか?

小川 僕はそこまで思わなかったですね。そもそも当初は近隣住民から開催を反対されていましたし。むしろ「ほんとにここでできるのかな?」と思ってました。

鯉沼 そうですね。

ー近隣住民の反対は治安的なことを危惧して?

小川 そうですね。

鯉沼 あとは騒音ですね。今のグリーンステージのところももっと丘になっていて木が植えられていたんですよ。

小川 あそこはもともとゴルフのショートコースがあったんです。それで木がいっぱいあって。「この木は切ってもらえないですよね?」って言ったらやってくれたんですよ。それはビックリした。

鯉沼 「この人たち本気だ!」みたいな(笑)。それならこっちも本気で苗場と向き合わなきゃダメだろうということで。

ー苗場の1年目が終わったときは地元のみなさんも含めてどういう反応があったんですか?

小川 開催前は反対運動もあったけど、1年目が終わった時点では歓迎ムードになってましたね。

ー経済効果もありますもんね。

小川 経済効果もあるし、思ったほど治安の悪さも感じなかったと。

鯉沼 そこはフジロックのお客さんに助けられた部分もありますね。97年があって僕らも反省したし、お客さんも反省したということだと思うんですよ。98年の時点で僕らもお客さんもこのままじゃフジロックは続かないという、そういう気持ちになっていた。

ーフジロックとお客さんの戦友意識みたいなものが生まれたと。

鯉沼 そうそう。それでお客さんも自らゴミを拾ってくれたり。タバコをポイ捨てするような人がいたら、お客さんたちが自ら注意してくれたんですよ。

ーある種の自浄作用ですよね。

鯉沼 ぐちゃぐちゃになった97年を経て、お客さんも僕たちも同じベクトルで進んだのが98年。その熱量を99年に苗場に持っていけたんですよね。地元の人たちは金髪だ、モヒカンだ、入れ墨だってガラの悪い人たちが大挙押し寄せよるんだろうなと思っていたところに、蓋を開けたらめちゃくちゃマナーがいいみたいな。

小川 モヒカンで入れ墨を入れてる人がゴミを拾ってるとかね。

鯉沼 それで地元の人たちもいい意味でビックリしちゃったんですよね。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE