インディーポップを愛するタイのスター、プム・ヴィプリットの葛藤

タイ生まれのヴィプリットは、10代になる前にニュージーランドへ移住した。ミュージシャンの真似事をする感覚でフランク・オーシャンのカバーをYouTubeに投稿し、趣味で曲作りをしていたが、18歳で帰国してバンコクの映画学校に通い出すと、趣味が趣味の域を超えてしまった。彼が言う「逆カルチャーショック」をいろいろと経験しながらも、急成長を遂げるバンコクの音楽シーンと深い繋がりを持つようになると、バンコクを自分の故郷のように感じ始めたという。

2014年、大学1年生のとき、ヴィプリットは地元のレーベル、ラッツ・レコーズのオーナーと知り合う。ヴィプリットの古いカバー曲をYouTubeで見ていたこのオーナーは、そのとき1曲しか入っていないヴィプリットのオリジナル曲のデモ音源を聴いて、すぐに彼とのレコード契約を決断し、それ以来、ヴィプリットの曲はこのレーベルからリリースされている。

「タイ人アーティストが英語で歌うという点でレーベルはかなりのリスクを背負うことになる」と、ヴィプリットが説明する。「タイ語を話す人口が圧倒的に多い国で、どんな場所で、どんなふうにライブを行うのかが問題になるんだ。僕はラッキーだったよ。だって僕が知り合った人たちは、音楽を信じていて、楽しいことをしようとしていて、ビジネス面はそれほど心配しないから」

幸運なことに、彼にとって言葉の壁は障害にならなかった。ヴィプリットは東南アジア全域に多くのフォロワーを持ち、無名時代に音楽ファンとして観に行っていた会場で、今はパフォーマーとして舞台に立っている。そして、昨年秋、彼はアメリカ進出も果たしている。東西両海岸のクラブを廻って評判になった。その時点で、彼はもう一度アメリカに行くことはあまり考えていなかったが、今年9月の北米公演が発表された。彼の楽曲にアメリカのサウンドへの敬慕がはっきりと反映されているおかげで、スムーズに物事が運んだのだろう。

「最初、アメリカでは自分はよそ者だ、自分はタイ人だという感覚になるだろうと予想していた。でも実際にアメリカに行ってみたら、アットホームな気持ちになったんだよ。あのツアーでは観客が僕たちの音楽をしっかりと感じてくれた。どう表現したらいいのかわからないけど(中略)、あれは夢が叶ったってことだと思う」と、ヴィプリットは語った。



Translated by Miki Nakayama

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