「パンク」史上最高のアルバム40選

16位 ディセンデンツ『マイロ・ゴーズ・トゥ・カレッジ』(1982年)


ロサンゼルス発のディセンデンツは、デビュー作が自分たちの最初で最後の作品になるだろうと考えていた。というのは、ボーカルのマイロ・オーカーマンが実際に大学に通っていたからだ。彼は生物学の課程を修了したが、一方でディセンデンツはポップパンクの代名詞的存在に上り詰めた。ミドルクラスであることに対する不条理な怒りを爆発させた「アイム・ノット・ア・パンク」や「サバーバン・ホーム」は、グリーン・デイをはじめとする全てのワープド・ツアー出演バンドが歩んでいく道を切り拓いた。






15位 ニューヨーク・ドールズ『ニューヨーク・ドールズ』(1973年)


「パンクにおけるドールズの功績は、あんなの誰だってできるってのを証明したことさ」ボーカルのデヴィッド・ヨハンセンはそう話している。攻撃的で雑、中性的でラウド、「払い落とせ!」や「人格の危機」を生んだはみ出し者のグラムロッカーたちは、まるで気のふれたローリング・ストーンズだった。トッド・ラングレンがプロデュースした虚勢に満ちた彼らのデビュー作は、セックス・ピストルズを始動させる前だったマルコム・マクラーレンの目に止まり、彼はバンドのマネージメントを買って出た。






14位 スリーター・キニー『ディグ・ミー・アウト』(1997年)


スリーター・キニーのコリン・タッカーとキャリー・ブラウンスタインが1996年作『Call The Doctor』で「I Wanne Be Your Joey Ramone」と宣言した瞬間、彼女たちは自分自身と90年代のインディーロック・シーンに宣戦布告した。そして次作『ディグ・ミー・アウト』で、彼女たちはそれがはったりではなかったことを証明してみせた。剛腕ドラマーのジャネット・ワイスを新たにメンバーに迎えたワシントン州オリンピア発の3人組は、喜びを爆発させる「ワーズ・アンド・ギター」や、悲痛な思いを生々しく描いたロマンティックな「ワン・モア・アワー」まで、問答無用のフェミニストパンクを轟かせた。




Translated by Masaaki Yoshida

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