極悪非道なレイプ犯に「将来の可能性」はあるのか? 判事の裁定めぐる不条理

被害者より被告の福利が優先される背景とは?

これらの事件をひもとくと、ひとつのパターンが浮かび上がってくる。被告はたいてい年が若い。そして多くの場合、白人だ。これはエルキー判事の判決で特に顕著になった。ある黒人政治家が指摘しているように、判事はクック裁判以前、16歳の黒人の少年に懲役20年を言い渡しているのだ。また彼らはたいてい中流家庭の出身で育ちが良く、(これまた白人で、男性で、育ちのいい)判事が若かりし自分の姿を重ねたとしてもおかしくない。だが、減軽を正当化する理由として、判事らがこうした点を列挙することはほとんどない。

代わりに、被告が初犯だとか、成績優秀だとか、地域のボランティア活動に参加していたとか言う。長く刑務所に服役させてしまうと若きジェントルマンの繊細な資質に悪影響が及びかねないと懸念を口にし、暴行を受けたトラウマから立ち直るという重荷は原告に負わせ、どうか思いやりを忘れずに、気を強く持って、前向きにいてください、などと言葉をかける。挙句の果てには、被告の可能性を守ってやりたいとのたまう。

グレンリッジのアメフト部の選手や、ターナーや、トロイアーノ判事の裁判の16歳の被告人が、「可能性」を秘めた若い男性だという考えは魅力的ではある。酩酊した少女とのセックスを動画に収め、友人にレイプを自慢するような若い男性に、他の若い女性を傷つける以外どんな可能性があるのか、疑問視する人もいるだろう。野球バットをビニール袋とワセリンで保護することには気が回るのに、それを使って知的障害を持つ少女を犯す若い男性には、より過激な性犯罪に手を染める以外にどんな将来が待っているのだろう。痛ましい性的暴行の被害者となった若い女性の将来よりも優先された若い男の将来が、どれほど偉大で、どれほどか弱く、守るに値するのだろう。

もし被害者の女性たちがあの当時、自分の幸福や将来が自分を襲った犯人の将来よりも劣ると言われていなかったら、今頃どんな将来を送っていただろう。品行方正な少年の可能性とやらに、いかほどの価値があるのか。彼が傷つけた若い女性の将来を踏みにじっていることは明白だというのに。

Translated by Akiko Kato

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