小さな町のベーカリーと地元大学が衝突、保守派とリベラルの代理戦争に

地域社会と大学間の緊張が裁判によってエスカレート

もっと有色人種の陪審員がいたら判決が違っていたか、という議論はさておき、以前から存在していた地域社会と大学間の緊張が裁判によってエスカレートしたのは間違いない。「オーバリンには2つの顔がありました。教授たちが住む壮麗なビクトリア調のエリアから道を下っていくと、州営の酒屋があって、そこから先はまったく別のエリアでした」と、2010年の卒業生でもある作家のケンドラ・ジェームズ氏は言う。特権階級の学生が「町に関心も敬意も払わない」という考えが蔓延し、そこへきて地元企業と大学間の経済不均衡が重なれば、地元住民の「怒りに火が付く」のは当然だろうと彼女は言う。

オーバリン大学の在校生や卒業生の中には、警察当局が万引き事件の捜査で、最初からこうした住民感情を頭に入れていたと言う者もいる。当時の事件の経緯を記録した分厚い調書は、アレン・ギブソン・Jr氏と、彼の父親のデイヴィッド、それとGibson’sの別の従業員の取り調べを基にしている。喧嘩の目撃者の供述がなかったことが、「事件解明に大きな影響を及ぼした」と、ネイサン・カーペンター氏はローリングストーン誌に語った。彼は裁判をずっと追いかけたオーバリンレビュー紙の編集長だ。「事件について、証言が十分だとは思えません」

ローリングストーン誌のメール取材に対し、オーバリン警察の対外広報部長のマイケル・マックロスキー警部補は、公園での喧嘩は裁判と「関連性がない」と述べた。「窃盗事件が店内で行われたこと、ギブソン氏には(学生を)かかる容疑で取り押さえる法的権利があることを考えると、率直にいって、屋外での喧嘩の目撃情報は無関係です」。マックロスキー警部補いわく、10人の目撃者――うち3人がGibson’sの従業員で7人が公園の喧嘩を目撃した人々――は、再審議を求めて検事に供述書を提出した。ギブソン氏が学生を不必要な力で取り押さえたか、という点について、「確かに、ギブソン氏の行動を……不必要、あるいはやりすぎだったと考える目撃者もいた」が、「ギブソン氏の行動の正当性を判断するのは、駆け付けた警察官の現場の職務範囲を超えています」

さらに、ベーカリーが事件以前に人種偏見の疑いをかけれられたことは一度もないとする弁護団の主張とは裏腹に、少なくとも30年前にはこうした疑惑があった。1900年4月27日付のオーバリンレビュー紙の記事によると、2人の有色人種の学生がベーカリーに対して不買運動を起こした。アレン・ギブソンJr.氏の父親、デヴィッド・ギブソン氏が、2人の白人男性顧客に席を譲るよう学生に要求したのがきっかけだった。同紙に掲載された写真には、女性の1人が掲げるプラカードに「これは単独の事件ではない。黒人は常にGibson’sから嫌がらせを受けている」と書かれていた。レビュー紙の取材に対し、ギブソン氏はプラカードの主張を否定し、黒人学生のうちの1人が店で何も購入していなかったからだと述べた(この件について質問されたプラカス氏は、問題の学生が「逆恨みしていた」と述べた。「この件は、今回の事件同様、人種が原因によるものではありません」)。

裁判書類はYelpのGibson’sのページによせられたコメントにも触れていて、このような疑惑が「何年も浮上していて」、周知の事実だったことが伺える。この記録は「抗議デモが十分かつ正当な理由で行われていたという、信用に足る証拠の存在を示している」と、大学の広報担当者は言う。

プラカス弁護士は、こうした主張が的外れだと反論する。「ギブソン家がこれまで人種を理由に偏見や差別をしたとする、信頼に足る証拠があるようには思えません――それに、被告側は裁判でなにひとつ証拠を提出していないのです」と、ローリングストーン誌に語った。彼はまた、ギブソン家が差別的な言動をしたという話を聞いたことがない、というオーバリン大学職員と元職員の証言を引き合いに出した。その中には、元学長、現職員長、コミュニティおよび行政対策特別学長顧問の証言も含まれていた。

Translated by Akiko Kato

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