シーアの知られざる波乱万丈人生、どん底から這い上がったポップスターの歩み

Illustration by Nigel Buchanan for Rolling Stone


シーアはその後、アルパカ牧場で働くボーイフレンドと共にイングランド南部へと移住する。ある朝彼女が目覚めると、アメリカにいる友人たちから大量にメールが届いていた。その内容はすべて、「Breathe Me」が『シックス・フィート・アンダー』で使われているというものだった。その直後から同曲は、KCRWをはじめとする各インディー系ラジオ局で頻繁にエアプレイされるようになる。「Breathe Me」は彼女にとっていわくつきの曲だった。同曲を書いた夜、彼女は自ら命を絶つため、22錠のバリウムをウォッカで流し込んだ。「残念ながら失敗したけどね」彼女はそう話す。「幸運にもと言うべきなのかもしれないけど。バリウムを飲んでも眠くなるだけなの」

その後発表した2枚のアルバムはTop 40入りこそ果たしたものの、オーストラリア以外ではヒットシングルに恵まれなかった。しかし2010年後半の時点で彼女を何より悩ませていたもの、それは拭いきれない自殺願望だった。ウォッカを浴びるほど飲み、ザナックスとオキシコンチンを常用し、1日中テレビを見て過ごしていた彼女は、他人と接する機会をほとんど持たなかった。彼女はある決意をし、自宅にあったあらゆる薬を持ってすぐ近所のホテルにチェックインしようとした。冷たくなった自分の死体を発見した人物がトラウマに悩まされないことを祈りつつ、彼女はホテルのマネージャーとメイド宛てにメモを書いた。「室内に入らないでください。私は中で死んでいます。救急車を呼んでください」

彼女がホテルに向かおうとした矢先、手元の携帯が鳴った。シーアが出ると、電話をかけてきた古い友人は「Squiddly-diddly-doo!」と叫んだ。それは彼女が心身ともに健康だった頃、電話に出る際にいつも口にしていた言葉だった。「心のどこかでは、きっと死にたくないと思ってたの」彼女はそう話す。「だってあの瞬間、私はこう感じたの。『その先には見たことのない世界が待っている。でも私はそこの住人じゃない』ってね」彼女はホテルに向かうのをやめ、代わりに酒やドラッグとは無縁の彼女のドッグウォーカーに電話をかけた。その翌日、彼女は初めて12ステップ・ミーティングに参加した。

彼女はGoogleの撮影を21時までに終えたいと思っていた。当日彼女は、Hidden Hillsにあるカニエ・ウエストの自宅で行なわれるパーティーに招待されていた。しかし予想した通り、撮影は長引いていた。白のローブを羽織った彼女は控え室で、マネージャーのJonathan Daniel(皆からJ.D.と呼ばれている)と一緒に、録ったばかりのLSDの曲をいくつかチェックしていた。最初の曲「Genius」を聴きながら、Danielは両足でリズムをとっている。アインシュタインとスティーヴン・ホーキングを引き合いに出しながら、シーアとLabrinthがバースを交換し合う同曲で、彼女はこう歌っている。「私のような女性を愛せるのは天才だけ」

シーアは「Genius」を気に入っているが、「フックがまだ未完成」だと感じていた。彼女はLabrinthに電話をかけ、スピーカーホン越しに話し始めた。「あんなリリックじゃダメよ。楽しいけど、中身がないもの。あなたならもっといいものが書けるはずでしょ。『君のハートに鍵をかける』なんてのじゃなくてね」

「『君は南京錠で僕はその鍵』っていうくだりは気に入ってるんだけどね」Labrinthはそう話す。

「ポップだよね」Danielが横から意見を述べる。

「ホーキングの名前が出てくるのよ」彼女はそう返す。「あとガリレオもね」

次に2人がチェックしたのは、J.D.がセカンドシングルに推している「Audio」だ。よりスローで控えめなビートの同曲を聴きながら、シーアは嘔吐するふりをしてみせる。

「君にしては陳腐なリリックだね」J.D.がニヤニヤと笑いながら意見を述べる。

「グレイス・ジョーンズをパクるのはもう限界ってことね」シーアはそう話す(当日彼女は結局カニエ・ウエストのパーティーには行かず、自宅のベッドで3匹の犬とくつろぐことにした)。

最近、彼女はポップ・ミュージックを聴かないようにしている。彼女のiPhoneはほぼ空で、iTunesに入っているのはキース・ジャレットのライブアルバム『Köln』と、マッドネスの「ザ・マカレナ」だけだ。彼女は自身の作品さえもこき下ろす。彼女の代表曲である「チープ・スリルズ」について彼女はこう語る。「あれは安っぽいどころじゃないわ、ただのゴミ」

2010年にJ.D.と出会った時、ツアーやインタビュー等のプロモーション活動にうんざりしていた彼女は、大きな変化を必要としていた。彼女はストレスが原因の一部とされる自己免疫疾患、バセドー病だと診断されていた。「彼女の体は音楽業界の重圧に蝕まれていたんだ」J.D.はそう話す。その時点で、彼女は自分が求めるものをはっきりと自覚していた。ポップスのソングライターとして舞台裏で暗躍し成功すること、それが彼女の望みだった。「ふうん、君はポップ・ミュージックは好き?」

「ビヨンセは好きよ」シーアはそう答えた。

シーアはそれまでに、4曲をクリスティーナ・アギレラに提供していた。そのどれもヒットには至らず、他のアーティストに提供した楽曲も同様だった。Danielは彼女に、今日におけるヒット曲は単一のコンセプトあるいはメタファーに基づき、具体的で検索に引っかかりやすいものでなくてはならないとアドバイスした。その好例として、彼はケイティ・ペリーの「ファイアーワーク」を挙げた。

「例えば、『豚の貯金箱』とか?」シーアが意見を求める。「『私はあんたの貯金箱じゃない』みたいな?」

「そうそう!」J.D.は同意する。

Translated by Masaaki Yoshida

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