「連中が俺の首を手術したとき、全部の神経を切り開いたせいで何もかもがダメになった。今の俺は何をしてもグラついてしまう。それに神経を開いた後遺症で、右腕は一生冷たいままなんだ」と説明してくれた。若い頃の彼はライブで身体が熱くなっていく様が大好きだった。もちろん両手もあっという間に熱を帯びた。「手って温かいものだろう? 温かい手で目覚めて、温かい手で眠る」と彼。主治医たちは神経痛の治療を彼に施した。それを聞いた彼は驚いたのである。「神経痛の治療が必要なヤツがいるなんて、一度も聞いたことがないぜ」と。
今回の入院は彼にとって本当に過酷だった。「あのときの無力感はどうやっても説明できない。小便するんだって歩行器を使わないとダメだったし、四六時中看護師が必要だった。入院しているってだけで気が狂いそうになるのに。ただ、あのアクシデントで身体が麻痺しなかったことを神さまに感謝しているよ。もしかしたら今ここに居なかったかもしれないからな。そんな状態になっていたら、屋根から飛び降りるか、転がり落ちるかしていたよ」と、オズボーンがその辛さを教えてくれた。
前後に歩く歩行訓練、バランスを保つ訓練、作業療法士の手を借りた訓練など、これまで数多くの回復訓練を続けているにもかかわらず、オズボーンは回復の速度が遅いと感じている。「正直な話、うんざりしている。以前は、朝起きるとトレーニングマシンに飛び乗って、1時間くらい運動して汗を流していた。でも今はそれができない。以前は日に1〜2時間トレーニングマシンで運動していたのに、今は30分も持たないよ。外出するときは杖が必要だし、道を歩くだけでヘトヘトに疲れちまう」と、言うオズボーンに追い打ちをかけるように、両脚に血栓ができてしまった。彼は「ほんと、何でそんなもんができちゃったのかね」と言うが、現在の彼は抗凝血剤を服用している。「看護師が教えてくれたよ。身体を打ち付けないように気をつけろって。俺の身体には血栓やら何やらがあるってね。これって恐ろしいよ。40から69までは大丈夫だったのに、70になった途端に身体が一気に下降線を描いたんだからさ」
そこで、彼にとっての希望は何かと問うてみた。大笑いしたあとで、オズボーンは「ほとんどない。1日以上ベッドに横たわるのが耐えられない俺が、もう半年もこんな状態だ。今どんな精神状態か、簡単に想像できるだろ?」と返事した。その一方で、オズボーンは忙しく生活している。テレビを見ることが多く、「俺はドキュメンタリーが大好きで、今じゃUFOフリークだ」と言う。また妻と娘たちが彼の面倒を見てくれている。「今は家族の存在が大切な時期だってことだな」と言って、彼はしばし沈黙した。
彼がこれまで一緒に演奏したバンド仲間全員が支援を表明しており、ブラック・サバスのギタリスト、トニー・アイオミは「頑張れ、お前ならできる」などのメールを何通も届けている。またコーンのフロントマン、ジョナサン・デイヴィスもオズボーンを元気づけた。「あいつは支援を惜しまなくて、俺はそれに驚きながらもとても嬉しかった。ほんと、最高だよ」とオズボーン。
すでに曲のアイデアを9つ録音したオズボーンは、冗談混じりに新アルバムのタイトルを「Recuperation」(訳註:保養や療養の意)にすると言う。そうやって彼は忙しさを保ち、余計なことを考えないようにしているのだ。「ずっと頭から離れなくて、考えると一番落ち込むのが、『俺はちゃんと歩けるようになるのか?』と『もう一度ステージに立てるのか?』だ。でも、『このまま寝転んでワールド・アット・ウォーなんて見ていたら絶対に何もできなくなる』って気づいた。だから、出来ることをやることにしたのさ。それが些細なことでも、何かしなきゃ…ってね。今の俺にはロックのコンサートは無理だ。ステージに立って「やあ」というのが関の山さ」と吐露した。
今の彼にできることは、楽観さを保ちながら来年のツアー復帰が実現できるように回復するのを待つことだ。「回復がマジで遅すぎて、自分の身体に『おいおい、早くしろよ』って言いたいよ。俺の中の期限は1月。気が狂いそうになるから、神さまに願っている。とにかく幸運を祈り続けているよ」と言ったあと、オズボーンは一瞬間をおいた。すると上手い例えが浮かんだようで、「彫刻を作っているようなもんだな。ちょっとずつ削っていくと最後には作品ができあがる。今の俺は自分の人生を彫刻し直しているってことだな」と続けた。