ハリウッドザコシショウ、狂気の「芸」が生まれた背景と10年続けた動画投稿

売れない焦燥とネタ番組での勝ち方

─30歳を過ぎると、同級生も結婚して家庭を持ったり、会社員の人はそれなりに仕事ができるようになっていくと思うんですけど、焦りはなかったんですか?


ザコシ:そりゃあ、焦りはありましたよ。定期的に『あらびき団』とかに呼ばれていたし、そこでバカスベるってこともなかったけど、単発で跳ねても売れるまでは至らなくて。正直、芸人の間でも「ザコシさんは面白いけど、やっぱり売れねぇのかな」みたいに言われていて。金も無いし歳もいっちゃっているから、実績を残さないと後輩もついてこない。どうしたら売れるのかなってことを考えていたのがR-1で優勝する3年くらい前のことですかね。当時は、あらびき団でやっていたスタイルとか、1人コントのスタイルとか、やれることはいっぱいあったんですけど、R-1で1位を獲るには至らないものばかりで。そのとき単独ライブでの反応を見ていたら、モノマネ30連発がウケたんですよ。そこで、モノマネってわかりやすいのかなと思って。そこに僕のやりたい、ちょっとクレイジーなテイストを入れられれば、R-1で決勝まで行って優勝できなくても、スギちゃんみたいになれるかな、ってことを考えて目標にしていましたね。



―R-1ぐらんぷりのみならず、ドキュメンタルでも2回優勝されていますよね。ドキュメンタルで、勝つための戦略って何かあったんですか?

ザコシ:R-1は3分のネタじゃないですか。なので、発言+表現方法でどれだけ多くボケを言えることができるか、自分のやりたいことをやりつつ世間に伝わる工夫をしないと優勝できないと思って組み立てました。一方、ドキュメンタルっていうのは、プロレスで言うと「プロレスが上手くない」とダメなんですよ。他人のボケを受けつつ返し技をすると更に高みのボケになる。お笑いの玄人を笑わせるっていうのはなかなか難しいですよね。そもそも、これでお客さんは笑うだろうなと思ってやる芸じゃ笑わないんですよ。しかもドキュメンタルは、芸人を殺して生き残るっていうルールじゃないですか。なので、やりたいことをやってばかりでもダメで。予期せぬ何かを仕掛けないといけなかった。





Rolling Stone Japan 編集部

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