ブリング・ミー・ザ・ホライズン単独公演レポ 爆音の中で作り出した巨大な聖域

変化も痛みも恐れない姿勢

そして重要なのは、その歌に叩き込まれているのは、あくまでオリヴァーが自分自身の内省と得体の知れない心の闇であるという点だ。どれだけサウンドが更新されようとも、自分自身を救い上げるようにして叫ばれる歌である点は一切変わらない。たとえばオリヴァーがラップミュージックを例に挙げてロックバンドの定型化と比較したのも、サウンド面に限らず、ロックがいつしか「みんな」や「世界」という見えるようで見えない対象に向けられるものになったことへの指摘だとも言えるだろう。ラップが自分自身の心を曝け出す手段として選ばれ、それが多くの人の心を震わせている今。その状況は、「俺はここだ」という個の叫びこそが人の心を震わせ、同じ心の形をした人を救うのだという真理を端的に表している。

実際、「Drown」のように絶望と孤独に溺れていく自分を救うために綴られた祈りの歌には、その爆音を飛び越えるようなシンガロングが巻き起こった。オリヴァーは今も変わらず自分ひとりの孤独や心の軋みを歌に込め続けているし、だからこそ、それを表すために最も最適であるラップミュージックの方法論を食っていったという言い方もできるかもしれない。その心の裏側と彼の孤独が切実な歌になった「Can You Feel My Heart」のラストセクションがラップ然としたフロウになっていたのも、興味深い変化だ。その地声の美しさが生きる「mother tongue」や「medicine」にも顕著だが、ブリング・ミー・ザ・ホライズンの音楽とオリヴァーの歌に込められた「自分を救うための祈り」がより一層伸びやかな音に託されるようになったことも、現在のブリング・ミー・ザ・ホライズンのスケール感に直結している。

アンコールの最後を締めくくったのは、「Throne」だった。「散々痛みを知ってきた、その傷で俺は形成されている。だから、狼の群れに投げ込まれたとしてもその群れの王になって戻ってくるさ」――エレクトロニックな音塊と大きな歌が合致して、何も恐れるものはないと改めて示すようなアンセム。変化も痛みも恐れない。その姿勢こそが、何よりも彼ら自身を現在進行形のロックバンドたらしめている。最新曲の音から、変わらず己を抉って吐き出す歌から、そう実感させられるライブだった。11月には日本にカムバックするとオリヴァーが語っていたが、その時にもきっと驚くべきスピードでの進化が見られることだろう。

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