ライヴ・エイド出演の立役者が語る「クイーン」バンドの一員として共に歩んだ35年間

クイーンのサポートメンバーとして長くキーボーディストを務めてきたスパイク・エドニー(Xavi Torrent/Redferns/Getty Images)

知る人ぞ知る、キーボード奏者として35年間クイーンのバンドを支えてえきたスパイク・エドニー。バンド全盛期からフレディやメンバーと共に歩み、ライヴ・エイド出演のきっかけやアダム・ランバートの発掘まで、自身とクイーンの歴史をローリングストーン誌に語ってくれた。

今も語り継がれるクイーンのライヴ・エイドでのライブ映像において、スパイク・エドニーが映る場面はほとんどないが、「ハマー・トゥ・フォール」の終盤に差し掛かる12:22で一時停止すると、バックにいる彼の姿を確認できる。キーボードの山の横でギターを弾いているダークヘアの男性、それが彼だ。キーボードとピアノ、コーラス、リズムギターまで担当する彼は、その約1年前にサポートメンバーとしてバンドに迎えられて以来、1992年にウェンブリー・スタジアムで行われたフレディ・マーキュリーの追悼コンサートから、ウェストエンドのミュージカル『ウィー・ウィル・ロック・ユー』、2000年代中盤に発表されたポール・ロジャースとのアルバム制作およびリリースツアー、そして現在も続くアダム・ランバートとのコラボレーションまで、長い道のりをバンドと共に歩み続けてきた。

過去35年間に渡って、エドニーはあらゆる局面で重大な役割を果たしてきたが、彼の名前を知らないバンドのファンは少なくない。大成功を収めているRhapsody北米ツアーの終盤、彼は本誌の電話取材に応じ、ライヴ・エイドでのステージ、『アメリカン・アイドル』でアダム・ランバートを知った時のこと、そしてバンドの未来について語ってくれた。

ーツアーの調子はいかがですか?

絶好調だと言っていいんじゃないかな。その前の2つのツアーで調子が上がってきてはいたけど、この『ボヘミアン・ラプソディ』ツアーで完全に突き抜けたと思う。昨夜の(ニュー・オーリンズ公演での)歓声は過去最大級だったね。誰もが心の底から楽しんでるのが伝わってきたよ。

ーあなた自身のミュージシャンとしての歩みについて教えてください。初めて行ったコンサートは?

僕の12歳の誕生日に、母さんが連れて行ってくれたビートルズのコンサートだね。1963年12月3日で、会場は僕の地元のPortsmouth Guildhallだった。

ーすごいですね。コンサートはいかがでしたか?

12歳の少年が経験する人生初のコンサートとしては、あまりに強烈だった。何より残念だったのは、歓声がすごすぎて演奏をまともに聴けなかったことだね。彼らがどの曲を演奏しているのかを、僕はマイクの前に誰が立っていてどんな風に頭を動かしているかで判断してたんだ。ボディランゲージってやつだよ。多分7曲くらい演ったんじゃないかな、出演者は他にもいたからね。バンドが2時間半くらい演奏して、何もかもをクリアに聞き取れるような今とはまるで状況が違ったんだ。

ーミュージシャンになりたいと思ったのはいくつの時でしたか?

そのコンサートに行った日だよ。

ークイーンを知った時のことについて教えてください。

彼らのことは1970年代初頭に読んだMelody Makerで知った。まず何と言っても、バンド名に呆れたね(笑)王室と関連付けるなんて、大胆にもほどがあるよね。初めて聴いた彼らの曲は「ナウ・アイム・ヒア」だった。僕はソウルが大好きで、スティーヴィー・ワンダーやスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンが僕のヒーローだ。当時の僕は、イギリスよりもアメリカの音楽に傾倒してた。ビッグなヘアと光沢シャツで飾ったグラムロックは、正直僕の趣味じゃなかった。僕がハマってたアース・ウインド&ファイアーも、サテンシャツは着てたけどさ。

しばらくして生中継されたクイーンのコンサートをラジオで聞いたんだけど、当初は凝ったアレンジが得意なヘヴィなバンドっていうのが好きになれなかった。「ナウ・アイム・ヒア」が気に入ったのは、ソングライティングが独特だったからだ。あの頃誰もが書いてたような、見え透いたポップソングとは一線を画してた。その後「キラー・クイーン」が出て、誰もが彼らの才能を認めるようになったけど、僕はそんなに入れ込んでたわけじゃなかった。興味本位で観察してるって感じだったね。



ー70年代に彼らのライブを観たことはありましたか?

生では観てないけど、ラジオで聴いたよ。アルバムではギターやコーラスを何重にも重ねてたけど、ライブじゃもちろんそれは不可能だ。だからサウンドの面で言えば、正直がっかりさせられたね。「生で再現できないんなら、最初からやらなきゃいいのに」って思ってた。ミュージシャンならではの意見だと思うけど、要は嫉妬してたんだよ。

ーあなたは「カモン・アイリーン」を大ヒットさせた直後だったデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズのツアーに同行しています。その経緯は?

トロンボーン奏者として金を稼いでた時期があったんだ。1980年代にはデュラン・デュランやデキシーズ、ボブ・ゲルドフのブームタウン・ラッツとかと一緒にやったよ。

Translated by Masaaki Yoshida

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