追悼リック・オケイセック、ライヴ・エイドで演奏するザ・カーズを回想

1985年夏、ライヴ・エイドに出演したザ・カーズを回想する。MTVはこのパフォーマンスの生放送を中断して、フィル・コリンズの乗ったコンコルドがJFK空港に着陸する模様を放送した。

1985年の夏に行われたライヴ・エイドへの出演に合意したとき、ザ・カーズは商業的な成功のピークに到達しようとしていた。しかし、この日JKFスタジアムに集結したアーティストたちの人気と実力は凄まじいもので、カーズの一連のヒット曲を以てしても、同日の終わりに近い出番をもらえなかった。彼らがステージに登場したのは午後5時39分。ケニー・ロギンスが「フットルース」を歌い終わったあとで、彼らの次はニール・ヤングだった。

カーズのセットは「ユー・マイト・シンク」で幕を開けたが、この曲はライヴ・エイドの公式DVDには収録されなかった。ここで実際にMTVが放送した同曲の映像を見てほしい。最初と後半部分にフィル・コリンズの乗ったコンコルドがJKF空港に到着した模様が挟まれている。コリンズはロンドンで行われたライヴ・エイド出演後にアメリカに移動した。そして到着から2時間もしないうちに、レッド・ツェッペリンの味気ないライブでドラムを叩いたのである。

カーズはライブバンドとしての評判は大して良くなかったし、彼らがライヴ・エイドで行ったパフォーマンスも、ベーシストのベンジャミン・オールが「ドライヴ」と「燃える欲望」を歌ったときに少し盛り上がったとはいえ、その印象を大きく変えるものではなかった。この日の午前中にエチオピアで起きている飢饉で犠牲になった人々を記録したビデオモンタージュが放送され、そこでカーズの「ドライヴ」が使われていた。それがきっかけとなり、イギリスのシングルチャートにこの曲が入り、彼らはその売り上げの全額をバンド・エイド・トラストに寄付したのだった。

ライヴ・エイド出演での注目、「ドライヴ」のヒット、さらに1984年リリースのアルバム『ハートビート・シティ』収録からシングルカットされたそれ以外のヒット曲が、カーズ人気に拍車をかけた。しかし、彼らが次のアルバム制作に取り掛かったのは1987年だった。人気を極めた上で完成させたアルバム『ドア・トゥ・ドア』はヒット曲に恵まれず(リードシングル曲「ユー・アー・ザ・ガール」はアメリカのホット100で17位まで上がったが)、同年に短いツアーを行ったあと、バンドは解散した。

カーズのリーダーだったリック・オケイセックはソロに転向し、プロデュース業も行うようになった。しかし、2011年にカーズは再結成して『Move Like This(原題)』をレコーディングし、オケイセックはこのアルバムでの短期ツアーに参加することにした。また、2018年にカーズがロックの殿堂入りを果たしたとき、彼は再びカーズとしてアルバムを制作することに薄っすらと興味を示したが、9月15日の彼の急死によってカーズの物語は遂に終わりを告げたのである。



Translated by Miki Nakayama

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