エアロスミスのメンバーが解説する、ラスベガス公演セットリストの全貌

「エレヴェイター・ラヴ」(1989年)

ハミルトン:これも楽しい曲で、レコーディングしたときに本当に楽しかった思い出の曲でもある。このMV撮影は完全に拷問だったが、出来上がりは最高だった。それに、スティーヴンが(本来の歌詞とは違う)その瞬間に頭に浮かんだ言葉で歌うのが面白いんだよ。大抵、相当ダーティーな言葉ばかりだから。彼は口汚い言葉で歌って、俺は腹を抱えるって状態だ。でも観客は気づいていないんだよ。

ウィットフォード:これも大掛かりなMVを作ったヒット曲だね。ジョーはよくインパクトの強い神リフを思いつくんだけど、あれもその一つだよ。

「闇夜のヘヴィ・ロック」(1975年)

ハミルトン:この曲もかなり速いから、毎晩「ちゃんと出来るかな」と思ってしまう曲の一つだ。あのフレーズをあの速さで弾きこなすと自分でも誇らしく思えるね。アルバム『闇夜のヘヴィ・ロック』を作ったとき、一番興奮したのがこの曲だった。この曲はロック曲として俺たちや観客の興奮を誘発するスピード感があるけど、音楽的な要素もたくさん散りばめられている。そんな曲ができて本当にワクワクしたんだ。この曲でセットを締める理由は、この曲に最後らしい盛り上がりがあるからだ。ものすごく速いし、そのおかげでバンドはこのセットを迫力満点の状態で終えることができる。そして、観客は次に何が起こるかとワクワクし始めるんだよ。

ウィットフォード:今の俺たちはアルバム収録時よりも少しだけスローダウンしていると思うけど、それでもけっこう速いよ。これでライブの盛り上がりが最高潮に達して、俺たちがステージから降りる前に観客が全員立ち上がってくれる。俺たちはステージ袖にはけて、首にタオルをかけて、アンコールをやりにステージに戻るのさ。

「ドリーム・オン」(1973年)

ハミルトン:アンコールをやるためにステージに戻ると、この曲を単調でムーディーな感じで演奏し始める。そして、そこから徐々に盛り上げるんだ。「ドリーム・オン」は毎晩プレイする曲だね、間違いなく。「リヴィング・オン・ジ・エッジ」同様に、この曲にもドラマチックな展開があって、静寂からラウドなパートまでダイナミクスも幅広い。この曲をスティーヴンが作っていたとき、俺たち全員が同じアパートで生活していて、そこにスティーヴンの家族が持っていたピアノを持ち込んでいた。そのピアノが入る広さがあったのは俺の部屋だけで、朝起きると、スティーヴンがそのピアノで、歌詞ができる前のこの曲を弾いていたことが何度かあった。「トム、この曲は絶対に大ヒットするぞ。最大のヒット曲になる」って彼はよく言っていた。俺もそうだと思ったね。

タイラー:この曲はエステー・オルガンで作った。ニューハンプシャー州スナピーにあったトゥロウ・リコ・リゾートで、毎週日曜の夜に父がリサイタルを行っていたスタジオの外にあったオルガンだった。手動で操作ながら弾くこのオルガンの音響が心に染みて、俺はうっとりと魅了されていた。だから、この曲は俺が作ったというよりも、自分で勝手に出来上がった感じだ。その後、俺たちはボストンに行って、空港近くの古いモーテルに滞在していた。もうすぐアルバムを作るためにスタジオに入るってときで、この曲の歌詞をまだ作っていなかった。だから、モーテルのバルコニーに座って歌詞を書いたんだよ。この曲のメッセージは時代が変わっても生き続けているから、これはこの先ずっと残る曲だと思う。それに、あの叫びも忘れちゃいないな。

ハミルトン:やっとレコード契約にこぎつけたとき、この曲をレコーディングできることになった。そのスタジオは5人がやっと入るくらいの広さだったよ。そこで5〜6時間かけてこの曲を作り上げた。特にスティーヴンはソングライターとしての作業に集中して、自分の感情も掘り続けて、これで完成だと思えるところまでやった。あのときの情景は今でも鮮明に思い出せる。この曲はエアロスミスという名前を有名にした3曲の1曲だ。

ウィットフォード:ベガスではステージの端にピアノが置いてあって、アンコールに出ていったスティーヴンは毎晩そのピアノの前の座るんだ。実は俺たちですらスティーヴンが何を演奏するのか知らないことが多い。最近は最初にビートルズの曲を部分的に弾いたり、エアロスミスの昔の曲を弾いたり、俺たちがライブでプレイしない曲を弾いたりして、最後に「ドリーム・オン」と歌い出す。この曲はクラシック・ロックのラジオ局が存続する限り、流し続けられる曲の一つだよ。時代の変化の中でもしっかりと残った曲だ。

「チップ・アウェイ・ザ・ストーン」(1978年)

ハミルトン:この曲はリチャード・スーパが作った曲で、リッチーはバンドと仲が良かったんだ。これは「ブラウン・シュガー」的な曲だと言える。観客のほとんどがこの曲を知らない。確か、これはスタジオ・アルバムには収録されていないと思った。あと、「カム・トゥゲザー」もここでプレイすると盛り上がるんだけど、ここ2〜3公演では「チップ・アウェイ〜」を続けてやっている。しばらくこの曲をやって、また「カム・トゥゲザー」に戻るんじゃないかな。

ウィットフォード:この曲は前に数回プレイしたことがある。この曲を知っている人たちは気に入るのだが、ベガスの観客の中にはこの曲を知らない人がけっこういると思う。でも、この曲のテンポが絶妙で、観客も足踏みしながら楽しめる曲だよ。俺たちはこの曲を演奏するのが楽しくて好きなんだ。リフもロックらしくてクールだよ。

タイラー:この曲はかつてよくラジオでエアプレイされていたよ。アルバム・オリエンテッド・ロック(AOR)時代に人気が高かった。この曲のコーラスは最高だよ!

「ウォーク・ディス・ウェイ」(1975年)

ハミルトン:この曲の背景には特別な物語がある。最初、曲のタイトルが思いつかなかった。パーツを全部リハーサルして、アレンジも決めて、曲をまとめたのだが、スティーヴンがまだヴォーカル・パートを作っていなくてね。その夜、俺たちはみんなで劇場にくり出して、映画『ヤング・フランケンシュタイン』を観た。そしたらマーティ・フェルドマンが駅でジーン・ワイルダーを拾うシーンがあって、そこでフェルドマンが「ウォーク・ディス・ウェイ」と言って足を引きずって階段を降りると、ワイルダーも足を引きずって降りた。これは三ばか大将の古いギャグで、初期のエアロスミスは三ばか大将ととても仲が良かったんだよ。

ウィットフォード:この曲には本当に逸話がたくさんある。特にRun-DMCが彼らのバージョンを作って、俺たちも一緒にMVに登場したのは、本当にものすごい影響力だった。

ハミルトン:1970年代にファンの間ではこの曲が大人気だった。そのあと、今度はロックとヒップホップが融合する象徴となったわけだ。あのとき、リック・ルービンがRun-DMCをプロデュースしていて、当時のリックはエアロスミスのファンだった。そしてRun-DMCのメンバーもこの曲が大好きで、彼らはこの曲のビートを求めたのさ。この曲の歌詞を注意深くとラップっぽいし、俺たちはヒップホップが生まれる何年も前にこれを作っていたわけだ。Run-DMCのメンバーが子供の頃にこの曲を使ってラップの練習をしたらしいよ。

ウィットフォード:この曲はコンサートの締めとして完璧だよ。

Translated by Miki Nakayama

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