ジャクソン・ブラウンの切ないバラード『レイト・フォー・ザ・スカイ』1976年映像を回想

ジャクソン・ブラウンの1974年の名曲『レイト・フォー・ザ・スカイ』が45周年を迎える

崩壊する恋愛関係を歌った、ジャクソン・ブラウンの1974年の名曲『レイト・フォー・ザ・スカイ』が45周年を迎える。本人が多くの人が胸を打たれた、1976年の演奏映像を回想したい。

ジャクソン・ブラウンの1976年は落ち着く暇がなかった。2月に人々の心の琴線に触れるバラード曲「レイト・フォー・ザ・スカイ」が映画『タクシードライバー』に登場した。ロバート・デ・ニーロが雑貨屋で男を撃った直後に、音楽番組「アメリカン・バンドスタンド」を見る場面でこの曲が流れた。翌3月、アルバム『プリテンダー』制作中に、妻のフィリス・メジャーがバルビツール酸系睡眠薬の過剰摂取で他界した。このアルバムにはメジャーの母親と共作した破滅的な曲「あふれでる涙」も収録された。

アルバム『プリテンダー』のプロモーションで、ブラウンはライブ・コンサート番組「サウンドステージ」に出演して、新作と1974年のアルバム『レイト・フォー・ザ・スカイ』からの楽曲を演奏した。この『レイト・フォー〜』は45年前の今日、つまり9月13日にリリースされた。上の動画では同アルバムのタイトルトラックを、バンドと一緒にピアノを弾きながらブラウンが歌っている。「僕が君の何を愛していたのか君は絶対に知らなかった/君が僕の何を愛していたのか今も僕は分からない」とブラウンが歌うと、彼の目が前髪に隠れる。そして「きっと君が望む僕を投影した誰かの姿だったかも」と続く。

「レイト・フォー・ザ・スカイ」は同名アルバムのオープニング曲で、崩壊する恋愛関係を歌ったものだ。アルバム全曲の曲調をこの曲が示唆するように、この後、感情の成熟が印象的な「悲しみの泉」、珠玉の「ダンサーに」、レイドバックしたロック曲「ビフォー・ザ・デリュージ」などが続く。「あれは自分にとって文学時代と呼べる時期だった。長文が多くて、強弱五歩格の長ったらしい曲で、自分を追い込むタイプの哲学的な考え方が顕著だった。落ち込んだ僕は、曇った目で、人混みの中に神を探していた」と、ブラウンが1983年のローリングストーン誌のインタビューでこのアルバムを説明している。

ルネ・マグリットの1954年の連作油彩作品「光の帝国」にインスパイアされた同作のアルバムカバーは、サウスパサディナの住宅街に駐車された1950年代のシボレーの上に街灯が照らされ、その上に夕刻の空が広がるという、非常に印象的なものだった。これで示される落ち着いたプライベート空間が、このアルバムの内省的な曲作りを物語っている。そして、この作品はその後何年にも渡って数多くのアーティストに影響を与えた。中でもブルース・スプリングスティーンは2004年に行われたブラウンのロックの殿堂の任命式で、この作品を褒め称えている。「ベトナム戦争が終わった70年代のアメリカの楽園の喪失、なかなか消えずにゆっくりと燃え続ける60年代の名残の火、あの頃の傷心、あの頃の失望、あの頃の使い果たされて消えかけた可能性をすべて表現している作品は、ジャクソンの最高傑作『レイト・フォー・ザ・スカイ』以外に一枚もない」と、スプリングスティーンは壇上で述べた。

1983年のローリングストーン誌のインタビューで、「ここ6年間、それ以降の僕のどの作品よりも楽曲『レイト・フォー・ザ・スカイ』が好きだと言う人たちばかりに出会っている。あのかなり私的で、告白めいた内省的な曲が、あの独特な時期を切り取っていたようだ」と語っている。ブラウンは何年も前から「レイト・フォー・ザ・スカイ」を演奏し続けている。最近参加が発表されたThe Lantern Tour IIでも演奏する確率は高い。ちなみに、このコンサートは国境で苦境を強いられている移民をサポートするチャリティ・イベントだ。

Translated by Miki Nakayama

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