子どもの声は大人には届かない? 世界を動かした子どもたちの力

今回の主張は多くの点で、右派思想を曲解した2つのもっともよく知られた主張を巧みに取り込んでいる。いかなる形であれ、とくに若くして有名になった女性がメディアで好意的に報道された場合、それは左派の大規模な陰謀であるという偏執業的な考えがひとつ。もうひとつは、アイン・ランド的な私利追及以外のことを示していると思われる人間は誰であれ、プロパガンダに利用されているか、利他主義の原則以外の理由があるに違いない、という穿った考え方だ。だがトゥーンベリさんの件に限らず、この主張は間違っている。子どもたちが市民運動に関与したケースははるか昔から行われてきた。大勢の子どもたちが自分たちの福利を犠牲にして、信念のままに、前線に立ってきたのだ。

もし右派が非難する通り、トゥーンベリさんがプロパガンダの道具だというならば、1963年、アラバマ州のバーミンガムで行進した数千人の勇敢な黒人の子どもたちも同様に非難されなくてはなるまい。人種差別に反対した彼らは消防ホースで放水され、警察犬に襲われた。あるいは1903年、メアリー・“マザー”・ジョーンズとともにフィラデルフィアからニューヨーク市まで3週間かけて行進し、アメリカの児童を守る法規制の欠如を訴えた繊維工場で働く100人の子どもたちも、同様の非難を受けることになる。1900年の国税調査によれば工場勤務者の1/6は子どもたちで、その多くは勤務中にケガをしたり、障がいを負ったり、場合によっては命を落とした。1899年、数百人の新聞配達の少年を率いてストライキを起こした片目の青年、キッド・ブリンクも然り。メディア王が新聞配達の少年たちに販売権料を要求したため、すでに厳しい家計をさらに削られる羽目になった(そう、ミュージカル『ニュージーズ』はこの事件が元になっている)。他にもシルヴィア・メンデス、マララ・ユフスザイ、クララ・レムリッチ、ルビー・ブリッジス、ジョセフ・アグリコル・ヴィアラ、ワルシャワ蜂起で戦ったゲットーの子どもたち、自らの命をかけて、ときには家族の命をも犠牲にして、本来なら自分たちよりも英知に長けた大人たちの蛮行や恐怖に立ち向かったその他何千人もの若者も、右派から非難されなくてはならなくなる。

さらに言えば、子どもたちは重要な抗議活動を起こすことができるだけではない――非常に見事な手腕を発揮することもしばしばだ。少なくとも、現在のアメリカで児童労働禁止法が徹底されているのは彼らの功績に拠るところが大きいし、一方バーミンガムの子どもたちに警察犬をけしかけるのを許可したブル・コナー警察署長などは、わが国の歴史の汚点とみられている。言うまでもなく、子どもたちは親世代が引き起こした弊害を消滅させることができる――事実、差別や児童搾取はいまでも日常茶飯事的に起きている――だが同時に、彼らにはそれを正す力があり、これまで何度となくそれを証明してきたのだ。

もし子どもたちが、聡明かつ寛容的な親が自分たちの世代やその前の世代が犯した間違いを認め、そうした親の指図をうけてこうした方向に走っているのだとすれば、正直、いったい何が問題だというのだ? たとえグレタ・トゥーンベリさんの親が、科学者や学者や気象専門家の出した結論に導いたとして、何がいけないというのだ? 子どもに感情移入し、不正に声を上げ、従来の意味で右寄りの立場に立つことは問題でも何でもない。問題なのは、今現在右寄りの立場を取り、科学者が揃って支持する急速に展開する出来事を、自分勝手に解釈することだ。親世代にとって自分の子どもに気候変動の現実を教えることは、色の名前を教えること、“牛”の読み方を教えることと同じぐらい重要なのだ。だとすればなぜ問題視する必要がある? 子どもたちが親に入れ知恵されたからといって、世の中の道理に照らし合わせて正しい入れ知恵なら、なんの問題もなかろうに?

もちろん、トゥーンベリさんや彼女以前の子どもたちがみな親の影響を色濃く受けていた可能性は存分にある。だが私には、理性と思いやりのある人間がそれを問題視するとは思えない。理性と思いやりのある人間が、バーミンガムを行進した子どもたちの瞳の奥に鋼の意思を見て取り、彼らの間近に警察犬の牙が光るのを見たうえで、子どもたちの勇気以外のことを口にするとは思えない。理性と思いやりのある人間が、確実に死ぬと分かっていながらSSに立ち向かったワルシャワのゲットーの若者たちの話を耳にして、「ところで、彼らの親は何をしてたんだ?」なんて言うだろうか。忘れないでいただきたい。トゥーンベリさんの呼びかけは、気候変動の惨劇の脅威が間近に迫っているのと同じように、急を要するものなのだ。これを裏付ける圧倒的事実に照らし合わせても、子どもたちが信念を抱くのを見て右派があれほど大騒ぎしているのはどうにも理解しがたい。唯一説明できる理由としては、結局彼らにはなんの信念も持ち合わせていないのだ。

Translated by Akiko Kato

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