香港人の写真家が見た「抗争の夏」

中年世代の力

6月12日。市民の呼びかけにより数万人の市民が政府本部を取り囲み、政府に改正案の撤回と行政長官のキャリー・ラムの退任を要求。その際政府本部前で起こった少数グループの衝突は、警察の強制排除対象となる。傘やペットボトル、バリケードなど一般装備しか持たないデモ隊を鎮圧するため、警察は150本を超える催涙ガス弾、20発のビーンバッグ弾、数発のゴム弾を発砲。多くの人が負傷し、騒動が暴動と定義されることになった。

前線にいた若者が世論の的となり、政府と政府を支持するグループは若者への非難を開始。一方で、学者、宗教団体、ソーシャルワーカー、親たちが若者たちを擁護し応援する側に回り、警察が武力を濫用したことを厳正に調査するよう求めた。若いデモ隊と同世代であるHei氏は「多くの社会運動は学生からはじまり、大人の参加比率は一般的に低いが、6月14日の『母の集まり』で、香港の大人たちの団結をはじめて感じた。親たちが涙を流しながら発言し、歌い、携帯電話のLEDライトをつけて振る姿に、心が動かされ温かい気持ちになった。とても感動したのです。その中には、40代、50代のおじさんとおばさんがいて、警察と政府の横暴に対して怒鳴っていたのですが、彼らの情熱は、本当にみんなに大きいな力を与えたんです。」と語る。しかし、政府の変わらない官僚主義は民衆の怒りを買い、ついには一人の若者が政府本部付近のビルから飛び降り、自らの死で政府に訴えたことで、200万(+1)人のデモに発展。香港の人口の約3分の1に及ぶ声に直面したことで、キャリー・ラム行政長官は「無期限延期」で改正案の停止を発表したが、引責辞任することはなかった。


雨傘運動以来、6月9日、103万人規模(主催者発表)となった「逃亡犯条例」(容疑者を中国に引き渡す条例)改正案の反対デモの後、政府が民意を無視し、法案の審議を続行することを発表、デモ隊が政府本部を囲み、道路を占領。警察はデモ隊へ150本の催涙ガス、20発のビーンバック弾、数発のゴム弾を発砲するなど強引な手段で制圧。催涙ガスの中にデモ隊が逃げる時の傘が残した。(Photo by Chan Long Hei)


中環遮打花園にて香港の母親集会に6000人が集まった。涙を流す母親。(Photo by Chan Long Hei)


香港がイギリスから中国に返還された記念日に、恒例のデモが今年も行われた。夜、香港デモ隊が立法会を占領、議場で区章の中華人民共和国の文字と星をスプレーで消した。その後、その場でこの運動で初めて、有権者の任命について、1人1票を投票して選ぶという真の普通選挙の導入が含まれている「五大要求」を宣言。(Photo by Chan Long Hei)

立法会を占拠した夜

全面撤回ではなく、無期限延期に納得できない民衆は、返還記念日である7月1日に行動を拡大。55万人のデモと同時に、若者たちは立法会を取り囲み、夜になると防弾ガラスを割って立法会ビルに突入した。真っ先に館内に侵入したHei氏は、学生の焦燥と緊張を目の当たりにしていた。彼らは館内で、故意に投票施設を破壊し、歴代親中派の立法会主席の画像を取り外し、スプレーでメッセージを書き残すなど、志向性をもち破壊行動に出た。その一方で、仲間が歴史文物や図書資料を破壊するのを止め、食堂で飲み物を取る場合は代金を置き残させた。一見、暴力的なイメージだが、政治システムと法執行機関に対する不満の文明化された表現であり、香港政府、香港市民、さらには世界中の人たちにその叫びが届くようにと願っての行動だった。

日本で音楽関係の撮影をしてきた香港人カメラマンのViola氏は、香港の一員として、一連の事件を記録するため急遽帰国したという。全く組織化されていなかったこの運動について、彼女は、若者がさまざまな信念と戦うことで、柔軟な行動をするようになったのではないかと考える。「無情な政府に直面して、若者は逮捕されること、ひいては死ぬことさえ覚悟しています。実際は誰もが強くてやさしい心の持ち主。立法会を死守する人も、ビルの外で見守る人も、道を占拠して逃げ道を確保する人も、物資を調達する人も、やることはそれぞれですが、誰もが全員で帰ることを望んでいました。」ビルの外にいた若者が危険を顧みずに立法会に立ち入り、機動隊が建物に突入する寸前に仲間を連れ出したその友愛でなんとか流血を免れた。これは民衆の間に確立した「ひとりも欠けさせない」という決意で、今回の運動で重要な核心的価値になった。

Translated by Candy Cheung, Mariko Shimizu

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