ビートルズファンは映画『イエスタデイ』を信じられるか?

もしあなたがカタブツのビートロジストで、ケチを付けるものを見つけようとしているのなら、『ボヘミアン・ラプソディ』スタイルの事実に基づいた映画では、何も文句が言えないだろう(しかしながら、『ボヘミアン・ラプソディ』内の間違いを楽しむ人もいる——彼らは、映画の滑稽なハイライトなのだ)。近い部分だと、ジャックがリバプールにあるエリナー・リグビーの墓を訪ねた際、ザ・ビートルズは誰もそこを訪れていなかったし、知りもしなかった。それは80年代、まだ誰も実際にエリナー・リグビーの墓がリバプールにあることを知らなかった時代のことではない。ポールがこの曲を書いたとき、彼はその名前を作り上げたのだ(しかし、墓は実際に存在していて、ポールはパーティーをするため、ジョンとともに教会の庭に忍び込んだと話している。本物の、偶然の一致だ)。

『イエスタデイ』は観客が退屈しないよう、楽曲をフルでは演奏せず1、2ヴァースに止めている。ジョージがバンドにいたことを忘れてしまっているのではないか?と観客が心配し始めるくらい、映画の中盤までジョージの楽曲が出てこない。ジャックがL.A.に行った際、「ヒア・カムズ・ザ・サン」と「サムシング」の短い断片を聴くことができる(しかしそれも、ジョージがL.A.について歌った曲、「ブルー・ジェイ・ウェイ」ではないのだ)。「抱きしめたい」の由来は、ソロのフォークシンガーによるショーケースが、いかにバカバカしいものであるか、というものであり——楽曲は女性たちが一緒に叫ぶために、熱狂的になるよう設計されている。これまでの歴史の中で「抱きしめたい」をソロで歌ったのはアル・グリーンのみで、ヒメーシュ・パテルはアル師と勝負になっていない。作品後半に、ザ・ビートルズのオリジナルパフォーマンスがフルで映るシーンがある。それまで、観客はバンドの楽曲をフルで聴きたいという衝動に駆られ続け、クレジットを見るためにじっと待つはずだ。

しかしながら、ジャックが有名になっていく様にはあまり意味がない。彼は「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」をモスクワで、歌詞を変えずに歌う(面白い事実がここにある:ウクライナとロシアは、もう同じ国ではない! 多くの人々がこの事実を巡り戦い、そして命を落としたのだ! )。ザ・ビートルズはティーンエイジャーの女性が発見し、それ以来のすべては中途半端な存在となってしまったにもかかわらず、ティーンエイジャーの女性は観衆の中にはいないのだ。2019年のザ・ビートルズファンの典型例として、フロリダのティーンエイジャーであるエマ・ゴンザレスを見てみよう。彼女は昨年、銃規制(とLGBTQ)の活動家として知られた。彼女はリンゴのファンで、ファブのTシャツをきながらTVのインタビューに答え、Twitterに「私は、ザ・ビートルズの曲はパワフルな女性に歌われるように作られたのだと思う」と投稿した。他の多くのファンがそうであるように、昨日も今日も、彼女は立ち上がる瞬間を待ち望んでいた。

ジャックの頭の中には、ザ・ビートルズの楽曲で女性を口説こうという考えは一切なかったが、それは奇妙なことである。なぜならジョン、ポール、ジョージ、そしてリンゴは、楽曲が女性を口説く目的だと悟られないよう振舞うことに必死だったからだ。ポールは、リバプールの芸術学校で行われるパーティーで女性の気を引くため、フランス人として振舞っていた。彼がそんなティーンの時に書いた短い曲が、「ミッシェル」である。のちにポール・マッカートニーは伝記『ポール・マッカートニー―メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』で、「僕は謎めいた行動を取ることで、女の子たちに“あの角に立っているフランス人の男の子は誰なの? ”と考えてもらいたかったし、気を引きたかった」と明かしている。しかしジャックにとって、それはポストイットに書いて壁に貼った、ただの別の曲のタイトルという位置づけであった。

ザ・ビートルズにとって、ライヴでオーディエンスと触れ合う機会も含めて、音楽とはいつも、女性とコミュニケーションを取るものであった。1987年、ポールはザ・ビートルズについての著書を数多く出版しているマーク・ルイソンに「あの時、僕たちは18、9歳で、話す女の子たちはみんな17歳やそこらだった。めちゃくちゃ意識してたよ。需要のあるところに音楽を届けていた。僕たちが『サンキュー・ガール』という曲を出せば、多くの女の子たちが自分に送られたありがとうの気持ちを書いたと思って、たくさんのファンレターを出してくれることを知っていたんだ」それが、彼とジョンが数多くの楽曲に代名詞を入れた理由だ。「僕たちは、オーディエンスに曲を歌うとそんな現象が訪れることに気づいた。だから『フロム・ミー・トゥー・ユー』とか、『プリーズ・プリーズ・ミー』とか、『シー・ラヴズ・ユー』みたいな、タイトルに代名詞の入る曲を書いたんだ。いつだってそうしてたよ」

ポールが想像もつかなかった時(誰も想像がつかなかったし、想像しようともしなかった)何年も時が経って、世界中の人々か彼らの曲を聴くようになった。さらに重要なのは、私たちも、彼らの曲を歌う。筆者にとっては、それがザ・ビートルズのストーリーの中で一番美しく、ミステリアスで、心をかき乱す部分である——解散した後にどんどん有名になり、彼らが活動をしていた1960年代よりも、現代ではバンドはさらに愛され、当時とは比較にならないほどに有名な存在となっている。バンドが「夢は終わった」と考えた何年も後に、世界はザ・ビートルズの夢を見続けているのである。元ザ・ビートルズのメンバーはこの不可解で、腹立たしくもありながら、私たちがそうしているように、世界中がザ・ビートルズに恋に落ちている状況を生きなければならないのだ。

『イエスタデイ』はラブストーリーが起こらない世界が舞台になっている——たとえ作中で歌われる楽曲陣が、まだストーリーが終わらないことを示しているとしても。偉大な男性、あるいは偉大な4人は、永遠の愛を歌っていた。過去など存在しない愛を。


イエスタデイ 
全国ロードショー中

監督:ダニー・ボイル
脚本:リチャード・カーティス
製作:ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、マット・ウィルキンソン、バーニー・ベルロー、リチャード・カーティス、ダニー・ボイル
製作総指揮:ニック・エンジェル、リー・ブレイザー
出演:ヒメーシュ・パテル(「イーストエンダーズ」)、リリー・ジェームズ(『マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー』)、ケイト・マッキノン(『ゴーストバスターズ』)、エド・シーラン(本人役)
配給宣伝:東宝東和 ©Universal Pictures
公式サイト:https://yesterdaymovie.jp/

Translated by Leyna Shibuya

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