「ポールは死んだ」音楽業界で最も有名で奇妙な陰謀説の内幕

このあと、ファンは発売直後の新作『アビイ・ロード』に隠されたヒントについて密かに噂するようになる。同アルバムのジャケットを見ると、ポールは裸足で、他のメンバーと左右の足が逆で、右手にタバコを持っている(本物のポールは左利き)。後ろのフォルクスワーゲンには「28 IF」のナンバープレートが付いていて、この数字はポールが存命ならこの時点で28歳だったことを表している(噂で死んだ彼の享年は27歳)。こういった説はどれもがバカげていて真剣に捉えられるものではない。しかし、ファンは「walrus」(訳註:「セイウチ」の意)がギリシャ語で「死体」を表す(実はギリシャ語ではなくスカンジナビア語で死体の意味だ)と、そして「goo goo goo joob」はジェイムス・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』でハンプティ・ダンプティが壁から落ちて死ぬ前に言った言葉だ(悪いがそれは嘘だ)と熱狂的に信じた。楽曲「アイ・アム・ザ・ウォルラス」の最後は、BBCでライブ放送されたシェイクスピア劇『リア王』のオズワルドのうめき声「O, untimely death!」(訳註:「ああ、こんなに早く死のうとは!」の意)で終わる(これは本当だ。ある晩、ジョンがラジオの音声を録音していて、この曲の合うと気に入ったセリフなのだ)。そして、「グラス・オニオン」では、ジョンが「Here’s another clue for you all / The Walrus was Paul」(訳註:「もう一つヒントをやろう/あのウォルラスはポールだった」の意)と歌っている。

この噂が広まったとき、ポールは死人にもセイウチにもなっていなかった。スコットランドの農場でリンダ、ヘザー、生後6週間の娘メアリーと隠遁生活を送っていたのである。リンダが撮影した最も有名な写真で、ポールのレザージャケットから顔を出している子供がこのメアリーだ。世話が必要な新生児(ポールの第一子)がいたため、彼はマスコミの狂ったような取材合戦と向き合う気はさらさらなかった。実際に彼はローリングストーン誌にこう語っている。「スタッフが『なあ、どうするつもりなんだ? アメリでは大騒ぎになっているぞ。お前は死んでいるって』と言った。だから俺は言ってやったよ。『そのままにしておけ。言わせておけばいい。俺たちにとっちゃ過去最高の宣伝だよ。今、俺がすることは生き続けることだけさ』って。そうやって、俺は生き続けたんだよ」と。

ジョン・レノンは10月26日に噂を広めるきっかけとなったデトロイトのラジオ局に電話して、「俺が聞いた中で一番くだらない噂だよ。俺のキリスト発言を広めた連中がやっている感じがする」と発言した。さらに暗号化されたメッセージの存在も否定し(「ビートルズのレコードを逆回転したらどんな音になるかなんて知らない。だって逆回転で聞いたことなんてないから」)、自分の「葬式の牧師」説も一蹴した。「みんな、俺が白の宗教的なスーツを着ているって言うけど、ハンフリー・ボガードだって同じような服を着るだろう? 俺はハンフリー・ボガード風の上品なスーツを着ていただけさ」と言ったジョンの立腹は当然だろう。この頃、彼はソロ・シングル「冷たい七面鳥」(このレコードでやっと「レノン=マッカートニー」の共同クレジットが外れた)と、オノ・ヨーコと共同名義の『ウェディング・アルバム』をリリースしていた。ポールの裸足の件など、ジョンにとっては話すらしたくないことだった。

弁護士のF・リー・ベイリーがテレビの検証番組の司会を務め、アレン・クラインやピーター・アッシャーなどの証言者に尋問を行った。ビートルズ学者のアンドリュー・J・リーヴはこの現象の経緯を記した秀作『Turn Me On, Dead Man(原題)』の中で、このテレビ裁判の記録を書き起こしている。「俺がポールを埋めた」とジョンが言った理由をたずねられたクラインは、「あのテイクではジョンのギターの音がポールの音を埋めたからだ」と主張した(アレン・クラインが正直に答えていないと人々は受け止めるのだ)。レコード店の棚はホセ・フェリシアーノが(Werbley Finster名義で)リリースした「So Long Paul(原題)」や、ビリー・シアーズ&ジ・オール=アメリカンズの「Brother Paul(原題)」といった、急ごしらえの売名レコードで溢れかえった。その中でもザッカリアス&ザ・ツリー・ピープルの「We’re All Paul Bearers(原題)」は秀逸で、バッファロー・スプリングフィールドを忠実に真似たまともな作品だ。曲中で「See the patch insinuation ‘O.P.D.’ on his sleeve / Wearing black sweet carnation while bringing mystery」(訳註:「彼の袖の不吉な『O.P.D.』パッチを見てみろ/ミステリーを生みながら黒くて甘いカーネーションをまとっている」の意)と嘆いている。



ビートルズにはなぜか死にまつわる噂話が多く、これは初期の頃も例外ではない。マーク・ルイースン著『Tune In: The Beatles: All These Years(原題)』に記されている通り、オリジナルのベーシスト、スチュアート・サトクリフが1961年にバンドを抜けたとき、「マージー・ビートの紙面に、ビートルズのこのメンバーが交通事故で死亡したというのは本当かという、ファンからの手紙が掲載された」。しかし、これはポール死亡説とは違う話だった。小説家リチャード・プライスが1984年にローリングストーン誌に寄稿した愉快な回想録で、1969年にカレッジラジオの番組で聞いたファンの突拍子もない持論について書いている(「ヒア・カムズ・ザ・サン」を78回転で逆回しすると「Woe is Paul」<訳註:「ポールは悲しみ」の意>と聞こえるなど)。プライスは面白半分でその番組に電話して、DJに「イギリスの棺桶の84%が何でできているか知っているかい?(中略)もしかしたら87%ぐらいかもしれないが(中略)ノルウェーの森の木だぞ」と教えたと言う。

Translated by Miki Nakayama

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