カート・コバーンのカーディガン、60年に及ぶその歴史を辿る

元レーシングカードライバーのGarrett Kletjianは、そのカーディガンの「管理人」を自認している。しかしその服の起源は、実に60年前までさかのぼる。Frank Micelotta/Getty Images

先日、ニルヴァーナのカート・コバーンが着用したセーターが再度オークションで、約3600万円の金額で落札された。もともとは、カートの死後に妻によってナニーへ譲ったものだった。このカーディガンが歩んだ軌跡を辿る。

世界一高価なそのカーディガンは、ペンシルベニア州の郊外にある家の銃保管庫に納められている。ポケットのひとつには、どこかミステリアスなシミがある。「茶色っぽくて、ちょっと硬くなってるんだ」セーターの所有者はそのシミについて、チョコレートか吐瀉物ではないかと推測している。ボタンのひとつが欠けており、タバコによる焦げ跡が2箇所見受けられる。祖母のかびくさい屋根裏部屋のような匂いを発しているそのカーディガンには、前回の落札時に13万7500ドル(約1400万円)の値がついた。

そのカーディガンは高級ブランドの品でもなければ、ダイヤモンドが散りばめられているわけでもない。しかし25年以上前に、ニルヴァーナのカート・コバーンは『MTVアンプラグド』出演時にそのカーディガンを着用した。その服が持つ歴史は、実に半世紀以上に及ぶ。

プロのレーシングカーチームForty7 MotorsportsのオーナーであるGarrett Kletjianは、現在その服の「管理人」を自称している。彼は2015年11月に、Julien’s Auctionでそのカーディガンを落札した。速達でその品を受け取った時のことについて、彼はこう語っている。「開封した瞬間に、負った責任の重大さを自覚したんだ。何年も前に子供を授かった時の感覚に似てた。すごく幸せなんだけど、少しビビってもいるんだ」

コバーンのセーターが生産されたのは、彼が生まれた1967年より少し前のことだ。ファッション歴史学者のKimberly Chrisman-Campbellによると、アクリル製でモヘアとライクラの混合カーディガンは、シルキーなモヘアが紳士服におけるトレンドとなっていた1960年〜1965年の間に生産された可能性が高いという。ボートとスキーヤーのイラストをあしらったラベルは、1800年代半ばにニュージャージーで設立され、1980年代に現在Perry Ellis Internationalとして知られる企業に買収されたManahattan Industriesのものだ。「とても先進的で、アメリカを代表するブランドでした」そう話すのは同ブランドのMarketing & Corporate Communications部門の代表を務めるLorraine Mediciだが、Chrisman-Campbellは彼女の意見が偏見ではないことを裏付けている。「非常にクラシックなスタイルで、オフグリーン風のカラーも魅力的です。オリーブグリーンは60年代に人気を博し、家屋の内装に多用されていました」

当時Manhattan Industriesに勤めていた従業員がPerry Ellisには1人も残っていないため、Mediciもそのカーディガンがどのラインで生産されたかを特定することはできなかった。しかし、Chrisman-Campbellは60年代前半の広告で、あるマンハッタンのブランドによる似たセーターが15.95ドルでリスティングされているのを発見した。明らかな使用感にもかかわらず(その点こそが理由なのだが)、そのカーディガンには想定される定価の8000倍以上の価値が付いていることになる。

「重要なのは決して洗わないということです」Julien’s AuctionsのDarren Julienは、今月上旬に本誌にそう語っている。「シミや汚れも当時のままです」Kletjianもまた、そのセーターをグランジーな状態のまま保管している。彼は一度だけ着用したが、40秒未満で脱いだという。「あの服に袖を通すと、すごく不思議な気分になるんだ」彼はそう話す。「彼の立場を体験しているような気がしてくるんだよ。すると思うんだ、これは僕が着るべきじゃないってね」

コバーンはリサイクルショップの常連だったが、Chrisman-Campbellによると、彼はそのセーターも古着屋で購入した可能性が高いという。「90年代初頭のシアトルでは、ヴィンテージの古着やリサイクルされた服、不用品を用いて自作した服などが流行していました」彼女はそう話す。「言うまでもなく、それは新品や洒落た服を好まないグランジのメンタリティを反映しています。またシアトルは寒く雨が多いため、温かくて着心地のいい服が好まれました。そういう意味で、セーターは必需品だったんです」

1994年に自ら命を絶つまでの数ヶ月間、コバーンはそのセーターを頻繁に着用していた。
1993年11月に行われた伝説の『アンプラグド』でのパフォーマンス時はもちろん、4月にこの世を去る直前に行われたツアー時にも数回着用している。「僕はあのセーターについて、少し違う見方をしているんだ」Kletjianはそう話す。「当時彼が心を病んでいたことは明らかだけど、そんな彼がこのセーターを日常的に着ている姿を想像してみるんだ。着心地が良くて、肌に馴染んでたんだろうなってね。彼は大きな苦しみを抱えていたかもしれないけど、この服が少しでも彼の心を安らげていたんだと思うと、優しい気持ちになれるんだ」

Translated by Masaaki Yoshida

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