カート・コバーンのカーディガン、60年に及ぶその歴史を辿る

コバーンの死後、そのカーディガンは一家のナニーだったJackie Farryに譲られた。「コートニーを励まそうと、多くの人が彼らの家を訪れていました」Farryはそう話す。「彼女はカートのことを知る人々に、価値がつくであろうものを譲っていました。セーターもそのひとつです。彼女が寝室に入っては、より多くの衣類を持って出てくる様子を覚えています。彼女からあのカーディガンを譲ってもらったのもその頃です」その後20年間に渡って、彼女はそれをセーフティボックス内で保管していた(彼女もその服を一度も洗わなかった)。

Farryは当初、そのセーターを(カートの娘である)フランシスに譲るつもりだった。しかし10年間にわたってがんとの闘病生活を続けていた彼女は、2014年にその服をオークションにかけることにした。「本当にお金を必要としていなければ、そんなことはしませんでした」彼女はそう話す。「あの服を売却する前に、コートニーとフランシスから許可をもらいました。私が置かれている状況をカートが知っていたら、きっと納得してくれたと思うんです。そう伝えると、2人とも同意してくれました」

セーターの落札価格は4万〜6万ドルと予想されていたが、結果的に6桁の大台に乗り彼女を驚かせた。「もし売れたら、家にプールを作りたいと思っていました」彼女はそう話す。「現実には家賃や保険、向こう数年間の生活費という夢のない用途に使われてしまいましたが。でもそれこそが、私が本当に必要としていたものなので」

Kletjianはカートの大ファンであり(自宅のキッチンには巨大な彼の肖像画が飾られている)、そのセーターを優れた投資対象だと考えた。「当然だけど、価値が下がるであろうものには投資しないことにしているんだ」彼はそう話す。「でも一方で、個人的な思い入れがあるものはどうしても手に入れたくなる。カート・コバーンのセーターは、まさにそういう品だった」

Julien曰く、コレクターたちのポートフォリオに多様性をもたらすアイテムの出品は、近年ますます一般的になりつつあるという。「コレクターだけでなく、投資家も対象となる市場なのです」彼はそう話す。「私たちはあのセーターが(前回の落札価格の)2倍以上の値をつけるだろうと予想しています。ニュー・ファインアート・マーケット、私はそう呼んでいます。ポップカルチャー、特にロックンロールに関するものへの投資は、近年ますます活発になっています」今年前半には、ニルヴァーナの最後のフォトセッションでコバーンが着用したセーターが、オークションで7万5000ドルで落札された。

Kletjianは2015年のオークションでは、気が大きくなりすぎていたと認めている。「値段を大幅に吊り上げてしまった」彼はそう話す。「あのオークションには、気を煽るようなムードがあったんだ。次から次へと入札されて、急速に価格が上がっていった。妻と一緒に参加していた僕は、意地になって競り合った」彼は最終的に約14万ドルで入札し、ロックンロールの歴史に刻まれた未洗濯のカーディガンのオーナーとなった。

Kletjianは自身のヒーローが身につけたものを所有することに喜びを覚える一方で、その責任を重荷に感じてもいた。ルーヴル美術館がそのカーディガンを展示させて欲しいと申し出た時も、彼は却下している。その服を管理する責任を負う彼は、パリまでへの長距離移動は好ましくないと考えた。彼はそのニットを、誰の目にも触れることのない自宅で保管し続けた。「でも次第に、それを負担に感じ始めたんだ」彼はそう話す。「僕はあのセーターのオーナーだ。そしてこれからもずっと、それはペンシルバニアの片田舎にある家の倉庫で保管される。でもロックンロールの歴史においてものすごく重要なものを、そんな風にしておいていいとは思えないんだ」

そうした経緯を経て、そのカーディガンは10月25日に再びオークションにかけられることになった。落札価格は前回の倍程度になると予想されている(※33万4000ドル/約3630万で落札された)。(そのオークションでは、コバーンが『イン・ユーテロ』のツアーで使用したカスタムギターのひとつが出品されることになっており、Kletjianは入札を検討している。)

Kletjianはロックンロールの歴史に関する品に投資するという行為が、一部のファンの反感を買うであろうことを自覚している(法外な値がついたその古着の持ち主が、資本家を毛嫌いしていたことを考えればなおのことだ)。しかし彼は、そのカーディガンを購入した理由の正当性を強く主張している。「誰だって、自分にとって意味のあるものには進んで金を払うはずだ」Kletjianはそう話す。「エルヴィスがステージで来た服を僕は買わない。彼のファンじゃないからだ。あのセーターは僕にとって大切なものだけど、手放すべき時が来たと感じたんだ。名残惜しくはないよ。あれを単なる投資対象としてじゃなく、価値あるものとして大切にしてくれる人の手に渡って欲しいと思ってるよ」

Translated by Masaaki Yoshida

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