横浜銀蝿オリジナルメンバーで完全復活、吉田豪と語る「再会」の舞台裏

なんのためにやってるんだよお前ら、みたいな(笑)。俺たちは何しろテレビに出ることが大好きで 。「ザ・ベストテン」のチャートに「ツッパリHigh School Rock’nRoll」が入った瞬間、世間とか周りの目も変わってきたし、これは凄いことになってき たと。もともと2分半しかないような曲を歌ってるわけで、切りようがないから当然フルでやらせてくれるし。こんな楽しいことをなんで誰もやらなかったんだろうと思って。リーゼントで革ジャン着てロックンロールを歌ってサングラスをかけた、本当はあ んまり呼びたくないのが音楽界に入ってきて、お茶の間にまでドーンって知れ渡った。そこから俺たちは社会現象になったと思うのね。

ーそうなんですよ。ここまで社会現象になったバンドも珍しいと思ってて。

たしかに、振り返ってみるとそうね。「最後まで聴いてもらえなかったら(表現が)完結しない」っていうのも作り手側としてはわかるけど、それよりもブラウン管のなかに俺たちがいること自体がすごく愉快なことで。そのあとにロックンロールをやってるヤツら、不良っぽいバンド、それこそ今まで出てこなかったフォークシンガーの大御所たちが普通にテレビで歌うようになったのは、横浜銀蝿がお茶の間に入ってきたからじゃないかなって俺は分析してる。

ーテレビに出られる不良、という新しいスタイルで。

そう。みんな出ればいいのに!って思ったし。 何を騒ごうが暴走族と一緒でさ。横浜で大きくなっても、名古屋の人たちは関東の暴走族なんて知らないわけじゃん。それがテレビに一回出ただけで、名前は売れるし音楽も聴いてもらえる。もちろん、よ くなければダメだと言われてしまうけど、「面白いじゃん!」っていう声をいっぱい掴めればそれがヒット曲につながるわけよ。だって俺たち、「8時だョ! 全員集合」にも出たからね。ハッピ着させられて踊れって。ふざけんな!って言いながら楽しくなってきて、「エンヤー、コーラヤット」と全開でやったりして(笑)。

ーそこもちゃんとやるっていう(笑)。

でも、おかげで小学生にまで広まったわけだよ。 当時はYouTubeもなかったし、動いてる横浜銀蝿は「ザ・ベストテン」とかじゃないと見れなかった。そこはやってきてよかったと思う。

Johnny そもそも、始めたきっかけが音楽論じゃないですから。車の運転と一緒で、バンドも楽しいからやってるだけ。好きとかモテたいとか目立ちたいっていうのが先で、どうだこうだっていう屁理屈はなかったんですよ。

ー基本、暴走族の延長線上っていう。

Johnny そう。テレビを拒否する理由も全くなかったし。

ーテレビで嫌な目に遭ったりとかはなかったんですか?

ないですね。そもそも楽屋が一番遠かった。他の楽屋の人たちと交流を取らせないように。

ーアイツら厄介だから遠ざけろっていう(笑)。

女の子と楽屋が近くになることもなかったし。でも、嫌なことでは全然なかったよね。

ー他の共演者と揉めそうになったりとかも?

全然ない、まったくない。

Johnny いや、あるんですけどね(笑)。

ーダハハハハ! 口論くらいはしたんですか?

口論というか、楽屋がたまたまマッチ(近藤真彦) の隣になって。やたら話し声とか聞こえるんですよ。他の人はみんな普通に喋ってるんだけど、マッチの声だけデカくて。それで飲み物を頼んだみたいで、当時30代後半くらいのマネージャーが持ってきてくれたのに、「これじゃねーよ」って話になって。

TAKU 違う、それは三原じゅん子さんだよ。

いやいや、マッチだよ!

TAKU マッチは違うよ。「ザ・トップテン」で一緒に並んでて「オメエ、何見てんだよ」って言ったんだよ(笑)。

それはもっとキツいヤツで......そこまでここで 言うことないじゃん!

一同 (爆笑)

とにかく俺が覚えてるのは、若いくせに年上のスタッフをこき使っていて。また違う飲み物を買ってきたら「何度言ったらわかるんだよ!」みたいな話を、こっちの楽屋に聞こえるくらいデカイ声で始めたの。俺らは縦社会じゃんか。先輩が一つでも上だったら敬語を使うし。そうやって育ってきたから、マネージャーさんが可哀想になってきて。言い方も酷いし、ボソボソいじめてるならまだしも、みんなに聞こえるように言ってるもんだから。部屋の壁を思いっきりバーンって叩いて、「うるせーぞ、このガ キ!」と注意したら、どこの楽屋も全部シーンとしちゃって(笑)。

Johnny そんなだから口論にはならないよね(笑)。

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