今週末、12月1日(日)に開催が迫った「REDLINE ALL THE BEST 2019 ~10th Anniversary~」。REDLINEは、CDディストリビューションやアーティストマネージメントなどを手掛けるJMS所属のKTR氏が主催する音楽イベント。パンク/ラウドを中心にしつつも、ジャンルに縛られないブッキングで厚い支持を受けてきたが、10周年を迎える今年は初めて幕張メッセで開催されることが決定し、チケットは既に完売。そこで今回、イベントの首謀者KTR氏にご登場いただき、REDLINEの歴史と音楽業界の現状についてたっぷり語ってもらった。
―元々、REDLINEはジャンルの壁を超えた異種格闘技戦を意識したイベントで、全国をツアーするという形で2010年に始まりました。僕はライブハウスで育った人間なので、全国のライブハウスを回ることによって、リリース前の新人や自分がいいと思うバンドをあちこちに広めたいというところから始まっていて。しかも、僕はパンクやロックはもちろん、ヒップホップやクラブミュージックも好きだったので、ジャンルごちゃまぜにしてイベントをやろうかなって。10年前って意外とそういうイベントがなかったんですよ。あの頃はシーンとかジャンルごとに束になるのが主で。
2012年出演、Donavon Frankenreiter(Courtesy of REDLINE)2013年出演、Northern19(Courtesy of REDLINE)―思い返してみると、2010年ぐらいって日本のパンクシーン全体が行き詰まっている感じがありましたよね。そうですね。もちろん、売れているバンドもいましたけど、シーンとしては確立されていなかった時期でした。
―CDの売上も落ちていて、何をやっても伸びないという。かといって、ダウンロードが伸びるわけでもなく。その頃はまだサブスクリプションもなかったですし。日本ではまだフィジカルが売れてた時代で、僕が所属しているJMSもインディーズの流通会社なので、REDLINEをやることでフィジカルの売上につなげようという意識もありましたね。
―状況を打開するためには、これまでなかったようなことをやらなければいけないと。自分から何かアクションを起こさないと何も変わらないと思ったし、自分が好きなバンドがちょうど増えてきたタイミングでもあったので、新たにシーンをつくろうっていうことでいろんなバンドに協力してもらって、初年度からコツコツとやってきました。
―その初年度は単発のイベントではなく、いきなり全国ツアーという。なかなか思い切りましたね。当時、一夜限りのイベントは多かったですけど、ツアー形式のものはなかったんですよ。あと、僕は元々、アメリカのワープドツアーをお客さんとして観に行ったりしていて。あのイベントはいろんな都市をみんなで回るじゃないですか。ああいうカルチャーが僕は好きだったので、日本でも東京のみならず全国に足を伸ばして伝えることが大事だと思って。もちろん、そうすることによるリスクはあるんですけど、やっぱり、みんながやってないことをやろうという意識があったので。
Photo by Mitsuru Nishimura―今でこそ幕張メッセで開催するぐらい規模が大きくなっていますけど、当時は成功の見込みなんてなかったわけですよね。それはもう、探り探りというか。売れているバンドよりもこれからのバンドに出てもらいたかったので、初年度は恵比寿リキッドルーム公演しかソールドしなくて。その日は、FACT、ivory7chord、Nothing’s Carved In Stoneでやったんですけど、他の会場は半分ぐらいしか埋まらなかったですし、渋谷eggmanですら当日にようやく300枚売り切るっていう。SiM、ROTTENGRAFFTY、Fear, and Loathing in Las Vegas、BlieAN、A MAD TEA PARTYっていう、今となってはけっこうなメンツなんですけど。
―今なら余裕で幕張メッセが埋まるような並びですね。でも、当時はギリギリで。そういうところから始めてきてるんですよ。