ブリング・ミー・ザ・ホライズンが『デススト』で得た「世界を変えていくためのヒント」

聴く人のバイブル(聖書)になる音楽を提供したい

ーブリング・ミー・ザ・ホライズンの音楽自体も、自分自身の内省や孤独、終末観を叫びながら生を渇望するメタルコアから始まって。そこから立ち上がって再生していくようにして、スケール感と美しいメロディ・サウンドを増やしてきましたよね。まさに希望を見出していく過程がバンドストーリーになって、大きなコーラスになって、そしてキッズの祈りの在処にもなってきたと思うんです。

オリヴァー:そうなっていたらとても嬉しいね。祈りと言ってくれたけど、まさに聴く人のバイブル(聖書)になる音楽を提供したいと思い続けてきたから。それに僕自身がビーガンだから、今の世界で起こっていることや環境問題、気候変動のトピックを無視できないところもあってね。現実の痛ましいニュースに向き合っていくために、その痛みを昇華できる音楽を提供してきたつもりなんだ。それはこれからもずっと変わらない部分だと思う。だから、「人間がそこにいる限り希望はある」というメッセージは、確かに僕らのやってきたこととも重なるかもしれないね。

マット・ニコルス:ゲームって、逃避させてくれるファンタジーであると同時に、現実的な問題に持ち帰れるものもたくさんある。そういう意味で、この「Ludens」ではこれまでよりも大きなメッセージを込められるところはあったよね。


マット・ニコルス(Photo by Kana Tarumi)

ーそうして外の世界と今の自分は確かにつながっているんだという実感が、作品ごとに音楽的な要素とスケール感を増して変化してきた要因とも言えますか。

オリヴァー:そうかもしれないね。それに、単純に僕らは同じことをしたくないという部分もあるから。今はなんだってそうだよね、ゲームだって音楽だって、常に変化するスピードが速くなっていくし、そもそも変わっていくこと自体が自然なことだと思うからね。

ジョーダン:自分たちの世代は当たり前のようにゲーム機が家にあって。何年も、ゲームの進化とともに生きてきた世代でもあるんだ。だから、もしかしたらゲームは映画以上に物語を伝えられるメディアになってきているんじゃないかと感じるし、変化していくことは美しいことなんだと実感してきたんだよね。ユーザー自身が世界の中に入って、体験と経験を得ることができるからね。それもあって、より広く世界のことに目を向けさせてくれる機会だったのは間違いない。

マット・キーン:ゲームはまさに、本を読んでいるような体験とともに、自分の行動を自分で決定する経験をさせてくれるものだからね。そういう意味でも、今回の小島さんのゲームが見せてくれる世界と、そこでどう生きていくのかを考えさせてくれる機会はとても大きかったよね。

ジョーダン:映画は1900年代に発明されたものだけど、ゲームはここ20年、30年で急激な進化を遂げてきたメディアで。ここまで速いスピードで進化して我々の生活の欠かせないものになっているカルチャーは、ほかに見当たらないと思うんだよ。僕らの世代は、その進化をずっと見てきたから。とても自然に物語に触れられるメディアとして、人間、世界の媒介になっていく可能性を見出してるんだ。


左からマット・キーン、ジョーダン・フィッシュ(Photo by Kana Tarumi)

オリヴァー:たとえば映画ももちろん想像性を掻き立てられる芸術だけど、ゲームはそれに加えて、自分の認識に伴って体を動かして、手を動かして自分自身が没入していけるよね。見たものをただ吸収するだけじゃなくて、身体的な連動も要求される。日本のゲームセンターに行ってみてもわかるけど、みんなとてもゲームが上手だよね。感じることと、それに伴って自分のリアルな行動を起こしていくこと。それを同時に促すメディアとして、さらに大きな可能性を持っているのがゲームだと思う。そこに、自分自身で立ち上がらなければいけないというメッセージや、人間に見る希望を重ねることができたんだと思う。

Translated by Yuriko Banno

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