ジョン・フルシアンテ、レッチリと共に生み出した8つの奇跡的瞬間

アンソニー・キーディス、ジョン・フルシアンテ、チャド・スミス、フリーの4人 ニューヨークのセントラルパークにて 1989年10月28日撮影(Photo by Paul Natkin/Getty Images)

ジョン・フルシアンテのレッド・ホット・チリ・ペッパーズ3度目となる加入を記念し、ファンの記憶に深く刻まれた瞬間の数々を紹介する。

2019年が幕を閉じる直前に発表された、ジョン・フルシアンテがレッド・ホット・チリ・ペッパーズに再び加入したというニュースは、バンドのファンの多くを歓喜させた。彼の加入はこれが3度目であり、『母乳』(原題:『Mother’s Milk』)『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』を生み出した1988年〜1992年の第1期、そしてバンドへの復帰作となった『カリフォルニケイション』を含む1998年〜2009年の第2期の両方において、フルシアンテは凄まじいギターソロを弾き、甘美なハーモニーを生み出し、バンドのサウンドを極彩色に染め上げた。彼の脱退後もバンドは優れた作品を発表しているが、フルシアンテが参加した作品には見劣りすることは否めない。レッチリにクラシック期というものがあるとすれば、ファンの大半にとってそれはフルシアンテ在籍時を意味している。それがバンドにどのような影響をもたらすのかは不明だが、我々が彼の復帰を歓迎する8つの理由を以下で列挙する。

1.「ギヴ・イット・アウェイ」

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ステファン・セドゥナウィが監督を務めた「ギヴ・イット・アウェイ」の白黒のミュージックビデオはバンドの躍進のきっかけとなったが、同作はフルシアンテの特異なファッションセンスを示す数少ない証拠でもある。カラーガードを思わせる動きやメンバーたちとの絡みも印象的だが、何よりも強烈なインパクトを残すのは無数の鏡を貼り付けたパンツ、当時のトレードマークだったモヒカンヘア、そして股抜きギター奏法だ。地上から見上げる形で映し出されるその姿はトリッピーで、どこかペニスを彷彿とさせる。言うまでもなく、その2つはレッチリを語る上で外せないキーワードだ。ー B.S.



2.「プリティ・リトル・ディッティ」

Paul Natkin/Getty Images

1989年発表の『母乳』は、黄金ラインナップのレッチリが初めて完成させたアルバムだ。バンドの結成メンバーであるヒレル・スロヴァクが1988年にヘロインのオーバードーズで逝去する数ヶ月前に、彼の大ファンだったフルシアンテはその代役としてバンドに加入する。それまでバンドは煮えたぎるようなファンクロックをトレードマークとしていたが、フリーがベース以外にトランペットも担当しているこのチルでゴキゲンなインスト曲は、フルシアンテの加入がバンドにもたらした影響を物語っている。「彼は俺が知らないことを山ほど知ってるんだ」当時フリーは彼についてそう語っている。「俺は基本的に音楽理論なんかこれっぽっちも理解してないんだけど、必死で勉強した彼はそういうのを知り尽くしてる。彼は自分を強く律するミュージシャンで、ギターとタバコ以外のことには興味なしって感じなんだ」ー H.S.




Text by PATRICK DOYLE & ANDY GREENE & ANGIE MARTOCCIO & HANK SHTEAMER & BRITTANY SPANOS & SIMON VOZICK-LEVINSON / Trtanslated by Masaaki Yoshida

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