1910年代と2010年代の「年代観」とは?

Illustration by Kyle Rice

ケイティ・ペリーによる悪気のないケニー・Gのリバイバルに始まって、カニエ・ウェストによる悪気のないケニー・Gのリバイバルで幕を閉じた2010年代。

ビヨンセ、テイラー、リアーナ、ケンドリック、ケイシー、ロビン、カーディ、ロードと、時代を彩る数々のスターがひしめく10年。だが、2010年代にはひとつの疑問がついて回る。果たしてこの10年は「年代」と呼べるのだろうか?   確かに、ひとつの時代ではあった――それは間違いない。実際、2010年代にはいくつもの時代、いくつもの流行、いくつもの瞬間があり、いくつもの物語、いくつもの世代、いくつものヒーローや悪役で溢れていた。2010年代にアイデンティが欠けていた、と言う人はいないだろう――むしろあまりにもアイデンティティがあり過ぎたぐらいだ。

2010年代の真っ只中、人々はこのディケイドについて語ることも歌うこともしなかった。これはおかしいのか? 間違いなくそうだ。普段なら世間はその年代について口を開かずにはいられない。1970年代を生きた人々は好んで70年代に思いを巡らせ、60年代との違いを噛みしめた。ニール・ヤングは70年代に入ってわずか数カ月後、「look at Mother Nature on the run in the 1970s(1970年代に去り行く母なる自然を見よ)」と歌った。この年代の終わりには、ラモーンズがこう叫んで“Me Decade(自己中心の年代)”を締めくくった。「It’s the end, the end of the Seventies/It’s the end, the end of the century!(これで終わり、70年代の終わりだ/これで終わり、今世紀の終わりだ!)」

1980年代の連中は、「ladies(レイディーズ、お嬢さん方)」と韻を踏むエイティーズにどっぷり心酔していた。90年代――これほど自意識過剰だった年代はあっただろうか? 当時のTVドラマ『Living Single(原題)』のテーマ曲(「In a Nineties kind of world, I’m glad I got my girls(90年代な世界で、友達がいて幸せ)」)やブラー(「love in the 90s, is paranoid(90年代の恋は頭がおかしくなりそう)」――そのまますぎる)、MTVの赤裸々ドキュメンタリー『Sex in the 90s(原題)』に当たるものは、2010年代にはない。

年代の感覚がないまま生きていると、“今この瞬間”の立ち位置を把握することが余計に難しくなる。年代というもの自体が時代遅れになっているのかと思いきや、むしろ未だかつてないほど注目を集めている。地元のParty CityやCostume Super Centerで◯◯年代パーティの衣装を探すのが今ほど楽な時代はな。誰もが年代という概念に憧れているが、同時に今自分は年代の中で生活していないという自覚も強くある。年代の狭間に生きることは何を意味するのか? そして我々の時代感覚にどう影響するのか?

Translated by Akiko Kato

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