斉藤壮馬、音楽への偏愛を語る「ピート・ドハーティの言葉には魔法がある」

音楽の表現と声優の表現

ー声優のお仕事での経験も活きているのかもしれないですね。

斉藤 そうですね、特に歌い方や歌詞はそうです。バンドをやっていた頃は、“ビブラートを使う歌い方をしたら絶対に負け”みたいな、ピート・ドハーティが好きだったのでちゃんと歌うのがカッコ悪いという謎の思い込みがあって(笑)。でもこの仕事を始めて、そういう表現だけではキャラクター性を表現しきれない、技術的に表現しきれないという思いがあったんです。声優として、自分の歌をもう一度イチから作り直さないといけないと。逆に、声優としていろんなコンテンツのキャラクターソングをやらせてもらったり、いろんな人と出会ったりしたからこそ書ける歌詞というか。18年に「デート」というシングルを出したんですけど、セリフっぽい歌詞を入れるという発想は、バンドでやっていきたいと思っていた10代の自分では絶対に生まれ得なかった。声優の仕事をやってきたからこそ書ける曲や歌詞があるなと思います。



ー歌い方もそうですけど、曲の中で演じるという部分において、海外アーティストのほうが基本的にオーバーアクションというか。海外のカルチャーを通過していなかったり、声優のお仕事を経ているのといないのとでは全く違いますよね。

斉藤 そうですね。でもそれぞれに持ち味があって、正解とか間違いじゃない。僕も作詞作曲の中にテーマがあって。歌詞も、聴き手次第でいろいろな解釈ができるように書いているんですけど、個人の意見を言うのであれば、メッセージソングやラブソングは今まで一度も書いたつもりはなくて。 “一人じゃないよ系”とか“前を向いて歩き出そう系”の曲ももちろん素敵ですけど、自分に寄り添ってくれたのは、“一人でもいいんだよ”という曲のほうだなという感覚があって。例えば「memento」だったら「memento」という曲の物語があるだけで、僕個人の感情とか思想とは全く関係はないんです。多分、それはこれからも変わらないと思います。作り手が意味を提示してしまうのは野暮なんじゃないか、と自分のものづくりにおいては思っていて。いろんな読み方や聴き方はできるようにはしていますね。ただ、自由というのは勝手ということではなくて、読み解いたり感じたりしたことに、自分で責任を持つのが大切ですよね。って、これは自分への戒めですけど、まるで注文の多い料理店ですね(笑)。エンタメ、フィクションとして楽しんで聴いていただけたら。



ー前作の中で「デート」が一番いい曲だなと個人的には思ったんですけど、初めてご自身で作詞作曲された曲だと。そもそも作曲活動は日常的に行っていることなんですか?

斉藤 そうですね。結局、バンドは大学生の時も少しやっていたんですけど、わりとすぐになくなって。この仕事を始めてからも、趣味としてちょこちょこ曲を書いていました。よし!曲を書くぞ!という感覚よりは、今日は切ない気持ちだから、切ない歌でも歌おうかなみたいな。日常的に曲を書いているわけじゃなくて、趣味として続けていましたね。

ー作曲機材が自宅にあるんですか?

斉藤 そうですね。今回のEPからデモをDTMで作っていますが、それまではほぼ弾き語りオンリーでした。家でアコギで弾き語りで作ることが多いので、「quantum stranger」までの曲はアコギの発想が元になっている曲が多いと自分でも感じます。今回はそういった意味で言うと、「Paper Tigers」はアコギでは書けないというか。パワーコードの発想なので。



ーDTMを導入してから、ソングライティングのスタイルは変わりましたか?

斉藤 まだそこまでの技術はなくて。変わったというほどではないけど、単純にデモとしてのアレンジイメージって言語化できない部分があるじゃないですか。こういうエフェクトをかけてほしいとか、ここはディレイをかけたギターリフでいきたいとか。音として提示できるようになったのは、作業効率としてすごく良くなったと思います。

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