言語の問題に風穴を開けたシティポップの流行と世界
竹内まりやの“Plastic Love”がYouTube上で爆発的に再生され、山下達郎や間宮貴子などのシティポップ系アーティストが海外に受容されたのは記憶に新しいことだが、これらは日本語詩に英語詩を盛り込むアーティストである。数十年前の邦楽が突如国外で脚光を浴びはじめたのは、様々な文脈において「事件」であったが、特に国産ポップスの国際競争力と言語の問題を打ち破る画期的な出来事だったのではないかと、筆者は考えている。
竹内まりや 「Plastic Love」Short ver.
日本語で歌われた国産音楽、英語で歌われた国産音楽、それらが混じり合っているもの。言語の要素はクオリティの面でも国際競争力の面でも矮小化し、我々が完全にこのトピックから解き放たれる時も近いのかもしれない。いや、坂本九“上を向いて歩こう(SUKIYAKI)”の時点で我々は答えを知っていたのに、必要以上に何十年も考えすぎてしまったのだけなのだろうか。そして、もはやこれは日本語英語関係なく、世界的な現象なのかもしれないとKIRINJI“killer tune kills me”のYonYonによる韓国語パートを聴きながら思う。
KIRINJI - killer tune kills me feat. YonYon
Edited by Aiko Iijima