プログレ史上最高のドラマー、ビル・ブルーフォードが語るイエス、クリムゾンと音楽家人生

ー自叙伝に印象深い一節がありました。「ジェネシスとイエス、キング・クリムゾンを十把一絡げに語るのは、平凡で浅はかなマスコミ連中だ。私が自信を持って言えるのは、この3バンドほどそれぞれに特徴のある組織はない、ということ。私はこれらすべてのバンドを直接知っている……」と述べています。『Close to the Edge』のイエスから『Larks’ Tongues in Aspic』のキング・クリムゾンへあなたが移行したことで、たとえそれが誤っていようが、これらバンドを「プログレ」としてひとつに分類させるきっかけになったと思います。

そうかな、興味深い解釈だね。この2つのイギリスのバンドは、今ではプログレッシブ・ロックというひとつのジャンルにまとめられている。音楽全体を語る上では問題ないと思う。しかし個々を見ていくと、例えばジョン・アンダーソンとロバート・フリップ、それからジェイミー・ミューアとクリス・スクワイアとの間にはほとんど類似点が見つからない。彼らはそれぞれが個性を持つ人間だ! 彼らの目指すものも違うし、耳から入って来るものも違う。音楽に対する考え方もそれぞれだ。音楽をどう扱わなければならないという決まり事があるだろうか? ただの3分間のポピュラー音楽と思うのか、それともさらに何かを感じるのか? そしてそれをどう扱うのか?

その意味でキング・クリムゾンは、どちらかというと実験室のようなものだと思う。ロックの中でできる可能性や未来のサウンドを追求する実験室だ。そしてジャンルの境界線が曖昧になり、どこからロックがロックでなくなるかを探求するなど、実にさまざまな実験を行った。だからキング・クリムゾンは、私の概念的な側面に訴えかけるものがあった。ドラムの概念的な面や、ミュージシャンとしての概念や目的を大切にしてきた。ドラミングの基本などよりずっと重要なことだ。バスドラムのペダルに何を使っているかと尋ねられても、ちっともわからない(笑)。むしろドン引きするだろう。私はものの外観にそう興味はない。それよりも、ドラマーの目指すものやドラミングに関するマクロ的な見方に興味がある。だから私が自分の思い通りにプレイできるドラマーだったとしても、ロバートが耳にすることがなければ私がキング・クリムゾンの一員になることはなかっただろう。彼らもそう言っている。



ー自叙伝であなたは、キング・クリムゾンの1974年のアルバム『Red』制作中の奇妙な時期について書いています。その時ロバートは黙り込み、何事にも意見を述べなくなったといいます。どのような状況だったのでしょうか? 『Red』は傑作だとされていますが、作るのに相当苦労したと思います。

たしかにとても悪い雰囲気だったし、とても困難を極めた。私は神経が図太いし、人の力でどうにかなるものなら、どうあっても事が上手く回るように立ち回るだろう。でも当時のロバートは明らかにそうではなかった……彼はレコーディングに参加していたが、普通の人が理解できるようなやり方ではなかった。彼は一応参加していたが、ほとんど何も喋らず、気乗りしない感じだった。そこでジョン・ウェットン(Ba,Vo)が仕切って、エンジニアのジョージ・チキアンツと私とが協力して仕上げた。奇妙なプロセスだった。ロバートも近くにいたが、おそらく何らかの精神障害を患っていたのだと思う。私は一緒に取り組んでいる人があまり嬉しそうでないと、いつも相手の心を思いやるようにしている。とにかくとても難しいアルバムで、最後はドラムスティックを放り投げて、ああやっと終わったとホッとした。

Translated by Smokva Tokyo

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