プログレ史上最高のドラマー、ビル・ブルーフォードが語るイエス、クリムゾンと音楽家人生

ー自叙伝には、後にジョン・ウェットンと組んだバンド「U.K.」について、とても面白い記述があります。芸術的なあなたとギタリストのアラン・ホールズワースがひとつの派閥で、後にエイジアを結成するジョンと、キーボード&ヴァイオリンのエディ・ジョブソンがもう一方の商業的な派閥だということでした。それぞれの感性の違いはそれほど明確なものだったのでしょうか?

(笑)私はそんなシンプルに表現していたかな? おそらくその通りだろうが、もっと深い意味がある。繰り返しになるが、プログレッシブ・ロック・グループの人たちはそれぞれ個性があり、定義の考え方にも幅がある。上手く行けばヒットアルバムが生まれるはずだ。しかしヒットすることと、音楽的な価値の高さとは関係がないと思う。関係性がまったく見つからない。例えば、「Kathy」というのが北米で最もポピュラーな女性のクリスチャンネームだから曲のタイトルは「I Love You, Kathy」にすべきだと主張する商業的な意見もあれば、「I Love You, Debbie」の方がいいという人もいる。ジェイミー・ミューアは、今私が話した内容をまったく理解しないだろう。また素晴らしいテクニックを持つ気難しいアラン・ホールズワースは私と同様、全力を尽くして自分の思い通りにプレイできる。オーディエンスが気に入ればそれは素晴らしいし、気に入られなくとも素晴らしいことに変わりない。良いことだ。自叙伝の中ではその両極端に言及した、というのが正しい表現だろう。

私はそのどちらを支持するつもりもない。誰でも音楽に何かしらの意味を持たせるため、自由に足したり引いたりできる。その意味というのがヒット曲を出すことであれば、それはそれで素晴らしい。ただし、私がそのバンドのドラマーでない場合に限るが。U.K.の1stアルバムはとても素晴らしい作品だった。しかし我々全員は、エイジアが出来上がるのを何とか止めねばならないという思いから、バラバラになってしまった。その時エイジアが結成されていた訳ではないが、言いたいことはわかるだろう。ジョンとエディらはバンドを続け、もっとポップな音楽を作りたいと考えた。彼らにとってはそれが最高の選択だったんだ。



ーもっとポップな音楽といえば、自叙伝の中で友人のフィル・コリンズがポップへ向かった点に言及している部分は、興味深いエピソードです。あなたは、彼の初期のソロ作品がオープンでソウルフルだと称賛しているように感じます。

パフォーマーとオーディエンスがあんな風に直接的に結びつく様子には、感心するしかない。パフォーマーが何かすると多くの人々が反応し、歓喜の声を上げる。素敵な風景だと思う。ポピュラー音楽は好きだが、私自身は広く受けの良い音楽を作るのが苦手だ。「Owner of a Lonely Heart」のように(編註:1983年のイエスによるこのヒット曲は、ブルーフォードがバンドを離れた後のもの)、3分か5分の楽曲にやりたいことを凝縮できたら良いと思う。当時のフィルは、いわゆる「離婚アルバム」が得意で、見事に当たった。私もジェネシスの「Supper’s Ready」などはお気に入りだ。

私が関わる音楽は、精神的な繋がりのある場合が多い。それが心地良い。共同制作したり、またその楽曲や仲間の作品の演奏を頼まれたりしたら、喜んで引き受ける。自分はセッションミュージシャンとしては大したことがない。1976年にジェネシスに参加した時もそうだった。スティーヴ・ガッドのような本物のドラマーであれば、どんなシチュエーションにも適切に対応できるのだろう。私の場合はどうもしっくり来ない。9カ月が精一杯だと思う。



ーでは、周囲とのクリエイティブな関わりがなかったからこそ、淡々と仕事をこなせたのでしょうか?

たしかに、クリエイティブな関わりのほとんどない時期もあった。特にキング・クリムゾンとのツアーの終盤や、1991年か92年に参加したイエスのツアーでは、共同で何かを作ることが求められなかったから、バンドとしてかろうじて機能した。新しい音楽や楽曲を作ったり、今までとは違う作業を求められたりしたら、大混乱が起きて皆バラバラになってしまう。ステージで『Fragile』や『Close to the Edge』などの慣れた音楽を延々とやっている間はもちろん、バンドとして機能できる。ところが例えばアースワークスのように、より難易度の高いクリエイティブなものは周囲からの受けはいいが、一気に実現が難しくなる。

Translated by Smokva Tokyo

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