ーアースワークスのアルバム『A Part and Yet Apart』のタイトルは、ジャズとロックの狭間にあったあなたの感情を表しているようです。広くジャズ・コミュニティから最も確信を得たものは何だったでしょうか。また逆に最も遠ざけたものはありますか?うーん、難しい質問だ。ジャズ・コミュニティから最も確信を得たもの? わからないな。アースワークスの1stアルバムがUSAトゥデイ紙に取り上げられたのをきっかけに、特にアメリカでの評価は好意的なものだった。それが確信だというのなら、素晴らしいことだった。逆に確信を持てなかったものは、本当にわからない。悪いけど意識したことがない。
ーロック畑のファンがあなたに付いてきて、彼らにもジャズの世界を広めたという意識はありましたか?もちろん。アースワークスのライブでもそのような話はよく耳にした。私を目当てにライブに来てくれたのだろうが、帰る時にはジャズが好きになっている。「まさか自分がジャズを気にいるとは思っていなかった。でも今聴いたのがジャズだっていうのなら、結構いいね」という感じだった。そういう意味で私は、関わっていながら離れてもいた(a part and yet apart)といえる。我々が多くの人々をジャズへ引き込んだという確信は持っている。我々がいなければ、彼らがインストゥルメンタルのライブに足を運ぶようなこともなかっただろう。つまりボーカルのいないライブだ。そもそも彼らは、そのような音楽からは縁遠い存在だっただろう。
ーそれは間違いなく喜ばしいことです。ジャズ畑の人々にとっては、あなたが人々の心をジャズへ向けてくれたと思っているでしょう。とても嬉しいね。そのように捉えてくれるなら、素晴らしいことだ。私にはそのような役割があると感じている。またそうなれると思っている。とても幸せなことだし、望むところだ。
© Copyright Bill Bruford and Bill Bruford Productions Ltd.ー自叙伝では、あなたのヒーローだったマックス・ローチがキング・クリムゾンを観に訪れたエピソードも紹介されています。彼とは長い間、有意義な関係を築けたのでしょうか?自分では有意義かどうかはわからない。彼は自分のことを大いに褒めてくれた。何度か直接会い、彼の音楽を何曲かカバーする機会もあった。彼のドラミングからは多く学んだ。彼の作品は大好きだし、彼にもそう伝えた。彼はとても礼儀正しい人間だった。
マックスと私を引き合わせてくれたのは、映像監督のスティーヴ・アピセラという人だった。彼がキング・クリムゾンのライブに何度かマックスを連れてきて、アースワークスのライブにも一度来てくれた。それはモントリオール・ジャズ・フェスティバルだった。アースワークスで私がプレイしていたいわゆるエレクトリックドラムを聴いてみようと、前から2、3列目には多くのドラマーが陣取っていた。ライブの後、マックスは我々のステージを絶賛してくれた。マックスとは、プロフェッショナル同士の関係以上のものはなかったが、素敵な人だった。
ーそれでも、自分がインスパイアされた人の前で初めて演奏するのは、最高の気分だったのではないでしょうか。最高だった。それが君の言う確信というものだったのかもしれない。
ー影響やインスピレーションといえば、若いメタルドラマーの多くがあなたから大きな影響を受けたと言っています。どのように思いますか?素晴らしいことだ。本当に。カート・コバーンが『Red』を褒めるような発言をしてくれた時、大きな確信が動き出した。多くの若者たちが「キング・クリムゾンって何だ? Redとはどういう意味だ?」と突然関心を示すようになったのだ。例えばマイク・ポートノイ(元ドリーム・シアターのドラマー)は、私の大したことない実績をいつも絶賛してくれるが、それはさておき、とても喜ばしいことだ。