J-POPの歴史「1988年と89年、CDが切り開いたミリオンセラーの時代」

PRINCESS PRINCESSの強さとは?

ヴォーカル奥居香、ギター中山加奈子、ベース渡辺敦子、キーボード今野登茂子、ドラム富田京子。この曲は、作詞が中山加奈子で、曲が奥居香ですね。ガールズバンドブームの話を先週しましたけど、バンドブームの中でTDKレコードという音響メーカー、カセットのメーカーがレコード会社を作って、そこでバンドブームに参加しようということでガールズバンドのオーディションをやったんですね。当初のバンド名は赤坂小町でした。彼女たちはアイドルバンドではなくて、ちゃんと音楽をやりたい、ちゃんとロックを作りたいということで、2年以上合宿をするんですね。そこで研鑽する。そして86年にPRINCESS PRINCESSとしてソニーから再デビューしたんですね。やっぱり、アイドルバンドではあったものの、全員が曲作りをしていたというのが彼女たちの強さでした。そして、彼女たちはガールズバンドのシンボル的な存在になりました。89年1月、ガールズバンド初の武道館公演。そこから96年まで毎年武道館をやっていました。お正月はプリプリの武道館っていうのが恒例でした。年間チャートの89年、1位が「DIAMONDS(ダイアモンド)」、2位が「世界でいちばん熱い夏」、ガールズバンドが1、2フィニッシュを決めた。そんな89年でした。

続いて、88年の年間チャート1位の曲、光GENJI「パラダイス銀河」。

光GENJI / パラダイス銀河

1988年3月発売、光GENJI「パラダイス銀河」。年間チャート、シングルチャート1位。そしてレコード大賞の大賞ですね。アルバムも年間チャート1位は光GENJIですよ。この「パラダイス銀河」は、「STAR LIGHT」「ガラスの十代」に次ぐ3枚目ですね。作詞作曲は、飛鳥涼。彼はすでにシブがき隊に「MIDNIGHT 2 CALL」という曲を書いていましたけど、「パラダイス銀河」を聴いたときに、飛鳥さん作曲能力あるなあと思いましたね。80年代のはじめは、たのきんーー近藤真彦、田原俊彦、野村義男、この3人が男性アイドルの扉を開いた。ジャニーズ事務所の第二次黄金期、黄金期っていう意味ではそこからかもしれませんね。そして80年代の終わりに、それまでアイドルに縁がなかったニューミュージック系の作家を起用するようになる。この光GENJIと飛鳥の組み合わせというのは、本当に驚かされましたね。そしてジャニーズ事務所の作家を見る目。これは今でもありますけどね。一方で、チャゲ&飛鳥もやっていたわけですが、バンドブームの真っ最中ですよ。チャゲ&飛鳥もその中に巻き込まれそうになって、89年に『PRIDE』というアルバムを出して、バンドブームを横目で見ているんですね。つまり、俺たちの音楽にはプライドがあるということを「LOVE SONG」という曲の中で歌ったりしていました。俺たちはあのバンドブームに乗らないんだみたいな姿勢がちゃんとありましたね。

88年の4月4日、5日にBOØWYがLAST GIGSで解散して、氷室さんはソロになるわけですね。この88年のレコ大のシングルの大賞が光GENJIだったんですが、アルバム大賞は氷室さんだったんです。氷室さんのソロデビュー作『FLOWERS for ALGERNON』がレコ大のアルバム大賞を受賞しました。その中から、やっぱりこれだな。「DEAR ALGERNON」。

氷室京介 / DEAR ALGERNON

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE