故ニール・パートが辿った軌跡

作家でもあったパートには多数の著作がある

厳格な独学者で才能に恵まれた作家だったパートには多数の著作がある。初出版は1996年の『The Masked Rider: Cycling in West Africa(原題)』で、これは1988年に行ったカメルーンでの自転車旅行の模様を記した回想録だった。この中で、ある村でハンドドラムを即興演奏すると、それを見ようと村人全員が集まったと言っている。

パートはロックの可能性を信じ続けていた(1980年のラッシュの楽曲「スピリット・オブ・レイディオ」で、彼はこの可能性を「a gift beyond price(掛け替えのない贈り物)」と呼んでいる)。そして、自身が目撃した音楽業界の過度な商業主義を見下していたのである。2015年にローリングストーン誌で次のように語っていた。「自分自身のヒーローになることなんだよ。私は16歳の頃に感じた価値観を絶対に裏切らないと決めている。つまり、絶対に魂を売らないし、大人に屈服しないということだ。決して受け入れることのできないものが妥協なのだ」と。

パートはドラマーが惚れるドラマーで、同業者に愛され続けた。モダン・ドラマー誌では読者の投票による年間最高ドラマーに38回も選ばれている。デイヴ・グロールは金曜日に出した声明で「彼のパワー、彼の正確さ、彼の作曲能力はずば抜けていた。彼が「プロフェッサー」と呼ばれたのには理由がある。俺たち全員が彼を手本にしていたからだ」と述べた。

「ニールはいつの時代も一番エアドラムされるドラマーだ」と、2015年のローリングストーン誌でポリスのドラマー、スチュワート・コープランドは語っていた。そして「ニールはラッシュの限界を押し広げた。彼らは音楽性に溢れていたし、8小節ごとに無数のアイデアがぎっしり詰まっていた。その一方で彼はしっかりとリズムをキープしている。それが最も大事なことだ。彼はクールなプレイを披露しながら、基本的な役割も果たせるドラマーなのだ」と言っている。

ラッシュが最後のツアーを終了したのが2015年で、このときパートはツアー生活を卒業した。その背景には、ライブでの演奏を続けられる体力や気力があるかと自問したこと、妻キャリー・ナッタルと娘オリヴィアと一緒に過ごす時間を増やしたい強い思いがあった。

Translated by Miki Nakayama

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