ボン・イヴェール、来日直前に知っておきたい「2020年代のポップ・ミュージックの役割」

2010年代とジャスティン・ヴァーノンの作家性

2010年代というディケイドは、2008年のリーマン・ショック後の世界経済の混乱がもたらした地球規模での社会全体における変動の10年でもあった。つまり、『i,i』という作品は、世界経済の混乱とそれがもたらした格差経済、あらゆる不平等がかつてよりもより顕在化し、それがゆえにいたるところで人種やジェンダー、信仰やイデオロギーの違いが衝突を起こし、電力とエネルギーの安全な確保と気候変動というイシューが対立する分断と衝突の時代ーーそんなディケイドの終わりを刻み込んだアルバムなのかもしれない。「でも、気候や地球とってという意味なら、また春が訪れれば新しいサイクルを始めることができる季節ってこと。またもう一度ね」

2010年代という時代はまた、音楽作品の流通やプロモーションの仕組みの大方がオンラインに移行することに伴って、作品よりも作家、音楽よりもポップ・アイコンとしてのキャラクターや言動に注目が集まる時代でもあった。そうした変化の中、ボン・イヴェールの中心人物であるジャスティン・ヴァーノンは、音楽の向こう側に隠れたい、ポップ・アイコンとしての重圧や孤独から何とか逃れたいと感じ続けてきた作家でもある。それは、さまざまに加工されたこれまでの彼のアーティスト写真からも伝わってくるに違いない。だが、『i,i』というアルバムの制作を通して、彼の中には大きな変化があったようだ。

「このアルバム自体これまでの作品と違っているんだ、アルバム自体がすべてインクルーシブで、本当にたくさんの人々の頭脳が集まって集団意識を作り上げていたからさ。すごく美しい体験だったんだよ」。ポップ、フォーク、チェンバー・ミュージック、ヘヴィ・メタル、フリー・ジャズ、アンビエント、さまざまな音楽的アイデンティティが織り混ざった『i,i』という作品の複数性こそが、彼の発言を裏付けるものだろう。しかも、総勢30名近くのミュージシャンやエンジニア、プロデューサーが集まった、「コミュニティによる作品」を作り上げる過程において、彼はかつてのポップ・アイコンとしてのストレスから解放されたという。「僕やボン・イヴェールから世界が必要とするものじゃなく、本当に僕自身のこと、つまり、僕個人という人間や僕の必要とするものをちゃんと気にかけてくれる人たちの周りにいること。そのことが今では、これまでみたいに孤独じゃないと感じさせてくれるんだ。もちろん、これまでも完全に孤独だったことなんてなかったわけだけど、ずっと僕はそんな風に感じてしまっていたんだよ」

当初、今回のツアーではステージを会場全体の中央に置き、観客がステージを取り巻くようなセッティングが予定されてもいたという。おそらく、そうしたアイデアはパフォーマーとオーディエンスという垣根を取り去り、ヴェニュー全体をコミューナルな空間にしたい、というアイデアによるものだろう。それはまた、彼の音楽的なルーツであるフォーク音楽がそもそもコミュニティのための音楽であったという歴史とも関係しているに違いない。今回のツアーでもドラマーとして参加しているコミュニティの一員、ショーン・キャリーは語る。「まったくその通りだよ。それこそが『i,i』でジャスティンが主に目指していたもののひとつなんだ。スポットライトを彼自身から、彼のコラボレーターたちに移すことでね」。ベーシストとしてサックス奏者としてバンドにジャズとインプロビゼーションの要素を持ち込んだマイク・ルイスもまた、それに同意する。「僕らの作るものすべてには、より大きなコミュニティをインスパイアし、そのコミュニティと繋がることへの強い欲求が伴っている、そんな気がするんだ」

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