「人は独りである」角銅真実がわかり合えない心の距離を歌う理由

─フィッシュマンズの「いかれたBaby」と、浅川マキの「わたしの金曜日」をカバーした理由は?

角銅:今回「歌のアルバム」を残すにあたってなぜカバーを入れたかというと、これもやっぱり聴く人の中で歌が自分のものになっていく感覚を、自分でも試したかったからです。2曲とも今までライブで色んなアレンジでカバーしてきた曲だから、それを自分のオリジナル曲と並べるとどうなるのかなと。

しかも、どちらの曲も「距離」のことを歌っているんですよ。例えば「わたしの金曜日」は、“名前も知らない男の人と 並んで歩く”というところがすごく好きで。この“並んで”っていうのは、“一緒に歩く”わけでも“手を繋いで歩く”わけでもないし、かといって“別々に歩く”わけでもなくて。その距離の中に優しさみたいなものを感じるんです。

─今回、角銅さんの中で「距離」はとても大切なテーマだったんですね。

角銅:もう一つ、「鳴らしていなくても聴こえる音」ってある気がしていて。例えば「わたしの金曜日」は、原曲では“憂鬱な わたしの金曜日”という歌詞が決め文句になって終わるのですが、今回カバーする時にはそこをわざと歌ってない。知っている人なら勝手に聴こえるんじゃないかな、と。

「6月の窓」でも、“ほんとうのことは”と歌った後に、言葉じゃなくて口笛を入れていたりして。こちらから「答え」を提示するのではなくて、聞いたその人の記憶や言葉が補うというか、その人の中で初めて歌が完成されるのっていいなと思ったんです。それって人の想像力を信じるということだし、それが本当に豊かなことなんじゃないかって。そんなにメッセージ性のある作品を作ろうと思ったわけではないけど、作品を残すというのは社会的なことでもありますからね。

─とても興味深いです。先ほど、「誰かのために作る」という気持ちは全くないっておっしゃいましたけど、やっぱりそこにはインタラクティブなものというか、聴き手とのやり取りみたいなものも、あるのかなって思いました。

角銅:そうですね。

─しかも、今回は「言葉」を使うことで、以前よりもその傾向が強まったのかなと。

角銅:ああ、そうかも。気づいたらそうなっていました(笑)。「与える人」と「受け取る人」がいるというよりも、お互いに耳を澄ましているような状況。それは自分の中ですごく重要ですね。新しいものや、知らなかったものって、多分そこから出てくるような気がします。人の想像力の中に、本当の驚き……それは刺激のような、「与える人」と「受け取る人」の立場がはっきりしている一方通行の驚きではなく、いわば「問い」のようなものですかね。自分が作っている音楽は全て、自分自身への「問い」でもあるし、他者、社会への「問い」でもあります。

─「Lantana」では“さようなら”というフレーズを繰り返していますよね。

角銅:いつでも自分のやっていることに「さよなら」と言える状態でありたい自分の願望と、一つに固執せず、約束しないでいつまでいられるか?という、自分自身への「問い」を歌にしました。

私、NHKのラジオをよく聴くのですが、中でも『子ども科学電話相談』という大好きな番組があって。毎週楽しみにしているのですが、特に恐竜の小林快次先生のファンで、著書も読んだりしているんですよ。

─へえ!

角銅:あの番組で、最後に先生やアナウンサーと相談者の子どもが「さよなら」ってお互いに言うんです。「さよなら」ってもう二度と会わない時に言いそうな言葉じゃないですか。でも、そのシーンに毎回美しさを感じるんです。そこからもインスパイアされています。

─そのお話も「距離」というテーマに繋がりますよね。

角銅:確かに。ただ、私には今きりんという大事な存在ができてしまって(笑)、毎日「かわいい」と思いつつ「でも私より先に死んでしまうんだ……」って思うとすごく悲しくて。それで初めて人生の先のことを考えるというか、時間軸が一つできたように思います。きりんは特別大事なんですけど、それでもあまり何かに固執せず、いつでも「さよなら」って言える状態でいられるといいなとは思っています。




角銅真実
『oar』
1月22日リリース
https://www.universal-music.co.jp/kakudo-manami/

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