MeToo運動が浮き彫りにした「有害な男らしさ」とは?

ワインスタインがやったこととアンサリがやったことの境界線

babe.net事件が起きる前は、ワインスタインやコスビーのような悪党と、アンサリのように、唯一犯した罪はフェラチオを望んだことと、ワイス記者の言葉を借りれば「空気を読めなかったこと」だけ、という一見不運な男たちの間には、はっきり境界線が引かれていた。だがbabe.net事件の後、あきらかに境界線は存在しなくなった。少なくとも、大半の人々、とくに大半の男性が思うほどには、はっきり区別されなくなった。

おそらくアジス・アンサリは、おぞましいワインスタインの部類に属するような悪党ではなかっただろう。だがbabe.net事件の主なポイントは、相手の女性よりも自らの欲求や欲望を優先させたがために、彼は間間違いなくあの瞬間悪党だったということだ――言ってみれば、16~45歳のストレートの男性はみな一度や二度は悪党だったことがある、ということになる。驚くことでもないかと思いきや、この発見に多くの男性が心底震え上がった。そもそも男性がこうなった原因は何なのか?

2010年代が終わりに近づく中、この問いに答えを示す書籍が多数刊行された。クレモンティーン・フォード著『Boys Will Be Boys(原題)』、リズ・プランク著『For the Love of Men(原題)』、クレオ・スティラーズ著『Modern Manhood(原題)』(さらに2020年には、ペギー・オレンスタイン著『Boys and Sex(原題)』、マイケル・イアン・ブラック著『A Better Man: A (Mostly) Serious Letter to My Son(原題)』が出版予定)。

出版業界の動向を見守る人なら、このジャンルが存在する理由をいくつか挙げられるだろう。悪党はいつの時代にも存在するが、彼らが群れの陰から公の場に引きずり出され、昔ながらのむち打ちの刑(現代ならさしずめボイコットだろうか)に処されるようになったのはごく最近のことだ。2016年の大統領選挙の影響で、有害な男らしさに対する大規模な議論の下地が作られ、その土台の上にMeToo運動が展開した。

女性は危害を及ぼす行為を適格に表現する言葉を与えられ、男性は自らのふるまいを前よりも真剣に考えさせられるようになった。

だからと言って、こうしたジャンルが不必要だというわけではない。むしろ今すぐ必要とされるものだ。男性たちは危機に陥り、その元凶は有害な男らしさ、つまり男性に向けられた有害な文化的概念にある。攻撃的な男気、ジョン・ウェインのようなストイックさ、ジェイソン・モモアのような逆三角形の体型でなければ、というプレッシャー。男性同様女性も女らしさという文化概念を内に抱えているが、その概念に沿うことができない場合、自分たちにいら立ちを向ける傾向にある。公平を期すために言うと、男性たちもたいていは同じような行動に出るが(全米の自殺者のうち70%は白人男性が占める)、有害な男らしさが原因で、被害者の数は急増している。「男らしさに対する有害な定義ほど、人類を脅かす脅威はありません」と、プランク氏は著書の冒頭で書いている。彼女はあながち間違っていない。エル・パソ、ツリー・オブ・ライフ、チャールストン教会、トロントのワゴン車による襲撃、ギルロイのガーリック祭り。これらはすべて、怒りを抱えた若い、たいていは白人の男性が、ネット上で人知れず過激化し、暴力に打って出る現象を端的に物語っている。

Translated by Akiko Kato

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