バンド・ブランド戦略で永遠に生き続けるクラシック・ロック

例えばプリンスのザ・レヴォリューションやザ・ニュー・パワー・ジェネレーションのように、この世を去ったアーティストのバックバンドが再結成してツアーを行うケースもある。またホーリー・ホーリーは、デヴィッド・ボウイと長い間組んだプロデューサーのトニー・ヴィスコンティも参加するボウイのトリビュート・スーパーバンドで、バックバンドの再結成と同様の活動をしている。今は亡きアーティストがステージに立つこともある。2012年のコーチェラ・ミュージック・フェスティバルのドクター・ドレーとスヌープ・ドッグのステージには、ホログラムのトゥパック・シャクール(2Pac)が登場した。ホログラム技術のおかげで死後もツアーを続けられるのだ。最近では、フランク・ザッパ、ロイ・オービソン、バディ・ホリー、ロニー・ジェイムズ・ディオらがホログラムで生き返り、再びツアーに参加している。ステージに立つ亡霊に合わせてバックバンドがプレイしたり、新たにオーケストラと共演する亡きアーティストもいる。所詮ニセモノなのだが、ファンにとっては幾ら支払っても観たいものだ。2019年に行われたフランク・ザッパのホログラム・ツアーのチケットは125ドル(約1万4000円)で、コンサートの約4分の3がソールドアウトだった。ロイ・オービソンの場合もほぼ同じ興行成績を上げた。

この10年でミュージシャンの遺産管理者にとって、亡きアーティストのブランドを蘇らせるためのさまざまな道が開けた。アーティストによっては、生前の作品を死後にどのように扱うかを予め決めている。例えばデヴィッド・ボウイは、死後に自分の全作品をどのように復活させるかを綿密に計画していた。だが従来は、アーティストの遺産管理者自身が方針を決定しなければならなかった。

2016年にこの世を去ったプリンスは遺言を残していなかったため、彼の遺した資産を巡って家族の間で激しい争いが起きた。事態を収拾するため、ワーナー・ブラザースでプリンスのA&R(アーティスト&レパートリー)を担当していたマイケル・ハウが遺産管理団体の記録責任者に任命された。プリンスの死後、遺産管理団体は『Purple Rain』と『1999』の超デラックス・ボックスセットのほか、プリンスが他のアーティストに提供した楽曲のデモを集めたアルバムをリリースした。プリンスは生前『Purple Rain』のリイシューの準備に関わっていたものの、ハウ曰く「細かく計画されていた」訳ではないという。

「我々が今しようとしていることが、プリンス本人が本当に望んでいたかどうかを考えると、夜も眠れない」とハウはローリングストーン誌に語っている。「確信をもって明確に断言できる者は誰もいない。しかしこの手の案件の基本方針として、作品の拡張版をリリースする場合、プリンスが生きていたら楽曲全体に対して求めたであろう完璧さと尊敬の念と誠意をもって、意思決定プロセスの初めから取り組むべきだ」。

アーティストの遺志を受け継ぎやすい例もある。1993年にこの世を去ったフランク・ザッパは、未亡人のゲイルが彼の遺産を管理し、2015年に彼女が亡くなった後は息子のアーメットが引き継いだ。アーメットはアイリュージョンのグローバル事業開発担当執行副社長も務め、フランク・ザッパのホログラム・ライヴの実現に貢献した。彼曰く、父フランクもホログラムのライヴに乗り気だったに違いないという。フランクは自叙伝の中で、「数十億ドルになり得る」ホログラムの特許のアイディアを持っていたことを明かしている。アーメットは数年かけてバンドメンバーを集め、ツアーに出て彼自身がステージで歌うこともあった。

「アーメットは正に起業家向きの人間で、我々としても動くザッパのツアーを実現したいと思っていた」とUmeでザッパ作品を担当する前出のドー副社長は言う。「これは彼がフランク・ザッパ・ブランドで実現したいと思っているものの始まりに過ぎない。」

「僕は(ホログラム・コンサートが)本当に特別なものになって欲しいと思っている」とアーメットはローリングストーン誌に語った。「どのアーティストもいつかは亡くなる。今回のような魔法の体験を再現するには、テクノロジーを使って人々を惹きつけ、音楽を聴いてもらうことだ」。

Translated by Smokva Tokyo

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