AC/DC故ボン・スコット、1979年の圧巻のステージを回想

AC/DCのステージで歌うボン・スコット

40年前の今時期に亡くなったAC/DCのボン・スコットを偲び、当時まだリリース前の「地獄のハイウェイ」を披露し、米国の観客の拳を振らせた映像を回想する。

ボン・スコットの死の半年前、スコットはAC/DCのメンバーとともに絶好調の中、“イフ・ユー・ウォント・ブラッド”ツアーで北米をまわっていた。そして、1979年7月29日、サンフランシスコ郊外のオークランドで開催された巨大フェスティバル「Day on the Green」に登場。このフェスにはテッド・ニュージェント、エアロスミス、フランク・マリノ、マホガニー・ラッシュなども出演していた。AC/DCのセットの動画を見る限り、ボン・スコットは終日演奏できるほどの活力に溢れていたようだ。

「Live Wire(原題)」演奏中に、スコットは身悶えしながらマイクに寄りかかり、最前列に向かってポーズを決めている。2曲目が始まると、スコットはブルージーンのベストを脱ぎ捨てて「次は『Problem Child』だ」と叫ぶ。このセットが半分すぎる頃、彼はリリース前のレコードの収録曲「地獄のハイウェイ」を観客に聞かせるという大胆さを発揮する。ヤング兄弟がメインリフをぶちかますと新曲ゆえの音揺れがあったものの、スコットが必死に盛り上げると最前列の観客たちが手拍子を始め、彼が「No stop sign, speed limit, nobody’s gonna slow me down」と歌うのに合わせて拳を振り始める。セット後半で披露されたこの曲以外の曲は、スコットの肉欲的なSTD(性感染症)讃歌である「The Jack(原題)」と『ロック魂』収録の「仲間喧嘩はやめようぜ」のハードロック・バージョンだ。

70年代に世界中にその名を轟かせたオーストリアのバンドAC/DCは、この時点ではアメリカでの知名度が低かった。「Day of the Green」参加後1週間足らずで『地獄のハイウェイ』をリリースしたのだが、これをきっかけに彼らはスーパースターとなる。このアルバムには「女たちのリズム」「タッチ・トゥー・マッチ」などのシングル曲の他に「地獄のハイウェイ」などが収録されており、特に「地獄のハイウェイ」は1979年12月のホット100で47位となった。また、同アルバムはビルボード200で17位まで駆け上がり、クリスマスにはゴールドディスク、1980年3月にはプラチナディスクになり、以来7回もプラチナ認定されている。

しかし、スコットにはAC/DCの成功を一部始終味わう時間が与えられていなかった。1980年2月19日、彼はバンドのリハーサルに行き、半年後にリリースされるアルバム『バック・イン・ブラック』収録の2曲でドラムを演奏し、リハーサル後にロンドンにあるミュージック・マシンというクラブに繰り出した。そして、その夜、彼は窒息死する。飲み過ぎによって嘔吐し、吐瀉物が喉に詰まったのだ。まだ33歳だった。

4月になると、元ジョーディーのヴォーカリスト、ブライアン・ジョンソンを新たに入れてAC/DCは活動を再開し、その後すぐに『バック・イン・ブラック』を完成させ、1980年7月にリリースした。1980年のローリングストーン誌のインタビューで「ボンの無念を考えると悲しかった」とアンガス・ヤングが語っている。「俺はバンドのことすら考えていなかった。俺たちはいつだってボンと一緒にいたし、ヤツの家族よりも一緒にいる時間が長かった」と。しかし、悲しさを感じながらも、マルコム・ヤングはバンドをやめようと一度も思わなかったと明かした。「俺は思ったね、『こんなことには負けねぇ。悲しむだけで今年を終わらせないぞ』と。だからアンガスに電話して『スタジオに戻ってリハーサルしたくないか?』って聞いた。これはヤツの死の2日後くらいの話だ」と述べた。それを受けてアンガスは「あれがボンじゃなくて、俺たちの誰かだったら、ボンも同じことをしただろうと思ったよ」と続けた。

『バック・イン・ブラック』はAC/DC最大のヒット・アルバムの一枚になった。発売以来、2500万枚以上を売り上げ、ダブル・ダイヤモンドに認定されている。AC/DCの人気が突然上がったことで、ボン・スコットの再評価も行われた。アメリカ版『悪事と地獄』が1981年にリリースされると、すぐに大ヒットとなり、ビルボード200で3位に到達した。そして1997年にバンドはボックスセット『ボン・ファイアー〜ボン・スコットに捧ぐ〜』をリリース。これにはスコットがバンドと作った未発表曲を収録しており、最終的にはプラチナ認定を受けるほどのヒットとなった。

「(ボンは)本物のプロで、スタジオで作業していると最高に誠実な男だった。ヤツは歌うことを自分のアートと見なしていた。2日くらいオフになると、ヤツは外出してクレージーなことをやっていたよ。でも自分なりの規律があって、バンドの誰よりも先に起床したし、引き締まった身体と健康の維持に気を配っていた。人生を本気で楽しんだ男、それがボンさ」と、後にアンガスは語っている。

Translated by Miki Nakayama

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