グライムス『Miss Anthropocene』を考察「コンセプトの隙間に潜む奇妙なリアリティ」

グライムス(Courtesy of BEAT Records)

2012年の『Visions』、2015年の『Art Angels』という2枚のアルバムで、DIY精神に根ざした次世代アイコンとなったグライムスが、5年ぶりの最新アルバム『Miss Anthropocene』をリリースした。世界中が待ち望んだ問題作を、気鋭のライター/批評家・imdkmが考察。


「気候変動の女神」とは何者か?

グライムスことクレア・バウチャーがニューアルバム『Miss Anthropocene』をリリースした。ここ数年、SNSなどで少しずつ公開され、各種インタビューで構想が語られてきたアルバムが、いよいよかたちになった。

グライムスは、本作を「擬人化された気候変動の女神に関するコンセプト・アルバム」と呼んでいる。『Miss Anthropocene(ミス・アントロポセン)』というタイトルは、その簡潔な要約である。

まず、アントロポセン=人新世とは2000年にパウル・クルッツェンによって(なかば偶然に)提案された新しい地質年代だ。人類の活動が地球環境に大きな影響を与えていることから、もはや「人間の時代」と言うべき新しい区分が必要だ、という問題意識に基づいている。この言葉はまだ正式な学術用語としての地位を確立してはいないが、気候変動への関心の高まりと共に注目を集めている。アントロポセンと名乗る者が「気候変動の女神」たる所以はここにある。

同時に、「ミス・アントロポセン」はミサントロジー=人間不信、人間嫌いの掛詞にもなっている。気候変動を擬人化するならば、まさしく人類に牙をむく人間嫌いの神がもってこいだ。

なぜこのようなキャラクターをつくりあげなければならなかったか。インタビュー誌でのラナ・デル・レイらとの対話で、グライムスはこのように語っている。いわく、

「私たちのいまの社会では、私たちは物事についてどう語ればいいかさえわからなくなってる。だから私のアルバムは、現代の悪魔学、あるいは現代のパンテオンなんだ。そのなかでは、どの楽曲も苦しむことや死ぬことについてそれぞれ異なる仕方で向き合ってる」

という具合に、本作では、神話や物語、そしてSF的な想像力が、あまりにも巨大な脅威や不安――たとえば気候変動のような――を人間大に落とし込み、改めて語りなおすためのツールとして援用されている。


Photo by Popovy Sisters

アーティストとしての力量をありありと示すサウンド

さて、実際に収録曲に耳を傾けてみると、全体を通じてヘヴィでダークなサウンドを基調として編み上げられた、なるほど「コンセプト・アルバム」らしい統一感がある。

歌声までをもドローンへと変化させるような深い残響が空間を埋め尽くす、冒頭の「So Heavy I Fell Through the Earth」。『Art Angels』から引き続き台湾のラッパー潘PANとのコラボレーションを披露した「Darkseid」。冒頭の2曲は本作の重々しいトーンをはっきり示している。



しかし一曲一曲で表現されるヘヴィさ、ダークさは多彩だ。そのバラエティは、ソングライター、アレンジャー、エンジニアを兼ねるDIY的なアプローチでポップスに挑んできたグライムスの力量を改めて示している。「You’ll miss me when I’m not around」はグランジをトリップ・ホップで再解釈したような退廃とディープな空間が印象的。「4ÆM」はインド映画『バージーラーオとマスターニー』にインスピレーションを得たドラムンベースで、絢爛豪華な歴史ロマンス映画の世界をSFへと翻案している。

一方、「Delete Forever」が提示するのはポップなメロディラインやギターのリフ、そしてバンジョーの音色が醸し出すフォーキーな、あるいはアメリカーナ的な味わい。オーソドックスな歌ものと思わせて、ビートと歌声とメロディが不思議なレイヤーをつくりだしていく、アルバムのなかでやや異質ながら、同時に図抜けた耳当たりの良さとクオリティを達成した曲であるように思う。




(ボーナストラックを除けば)アルバムを締めくくる「IDORU」は、アルバム中唯一といってよい多幸的な一曲。反復するシンプルなリフと漂うような断片的ヴォーカルが折り重なる様は初期から『Visions』あたりのグライムスを彷彿ともさせるが、7分というポップソングにしてはなかなかの長尺を、このミニマルな構成で聴き通させるサウンドの巧みな処理にこそ耳を傾けるべきだろう。

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