屈指の存在感と歌唱力の持ち主、桑名正博をプロデューサー寺本幸司が語る

下田逸郎と組んで作った最初の名曲「夜の海」

・桑名正博「夜の海」


田家:え〜、流れておりますのは寺本さんが選ばれた3曲目「夜の海」。いまだに桑名さんのファンには、この曲が好きという人の多い曲です。作詞・下田逸郎、作曲・桑名正博。76年発売、ソロ1枚目『Who are you?』に入っておりました。ちょっと時間が遡って、この1枚目の話を伺いたいのですが、ファニカンは2枚アルバムを残して解散して、75年にソロになって、1枚目が『Who are you?』だった。その中にこれが入っていた。

寺本:ちょうど下田逸郎がNYから帰ってきて、桑名が僕のところにいて、大阪と東京を行き来して。そういう中で桑名と下田が曲作りをするようになったきっかけになった、アルバムの中の名曲と思っている1曲です。

田家:桑名さんはそれまで下田さんのことを認識していた?

寺本:認識はしていましたけど、日本にあまりいませんでしたし、帰ってきてもすぐ向こうに行っちゃうやつだったから。下田のほうは桑名のことを知ってはいるけど、あっちの人間というか、ああいうことをやりたいんだと思っていたみたいなので、2人が出会ったことは偶然ではあるけど、僕は必然だと思っています。

田家:これは偶然なんでしょうけど、桑名さんは1970年、万博の年にサンフランシスコに行っている。向こうで西海岸のヒッピームーブメント、当時のニューロックの洗礼を受けて、下田さんは同じ1970年にNYに東由多加さんと一緒に行って東京キッドブラザースで向こうの舞台も経験している。1970年にかたや東海岸、かたや西海岸にいたというのは偶然なんでしょうけど、ある種出会うべきなにかがあったのかなと思いますね。

寺本:まったくそう思いますね。やっぱり桑名は与論島とかに行って、要するに下田とは違う旅をしながら、自分が桑名興業の後をつがなきゃならないって気持ちから逃げるように、ある意味旅をしている時期にLAにいって。栄と話して、やっぱりやりたいなというのがファニー・カンパニーに繋がったわけですね。

田家:栄孝志さんとはアメリカで出会っているんですね。

寺本:そうですそうです。

田家:今寺本さんがおっしゃった、自分が今後、親の仕事、会社、自分が生まれたところをそのまま引き受けて背負っていくのか、そこから違う道にいくのか。特に冒頭におっしゃいましたけど、金持ちのぼんぼんが何がロックだって空気がありましたもんね。そことの戦い方は他の人にはない葛藤だったでしょうね。

寺本:と思いますね。一概にアウトローとくくるのはよくないけど、そういうものは彼の体の中にあって、それが目覚めていくことが怖いような、ステージ上での弾けるエモーションが本当のロッカーだなっていう感じがしましたし、ロッカーってジャスト・ナウじゃないですか? 今しかない。ジャストをどう自分の生きているもので表現できるかがロッカーじゃないですか? ただ、その方法は、生まれながら持っているものじゃなくて、身に付けたものだし、発見したのは間違いなくウェストコースとの旅ですね。

田家:妹さんといっしょに歌ってらっしゃると。

寺本:はい。桑名晴子、彼女もこの歌レコーディングしているはずです。いい歌でしょ?

田家:いい歌ですね。このアルバム『Who are you?』をお作りになったときには「哀愁トゥナイト」はまだ頭になかったわけですよね?

寺本:全然なかったです。僕は“世界”という言い方が好きなんですけど、これで桑名ってソロシンガーの世界が作れるかなって。アルバムですから。桑名でなきゃという曲をいくつか並べた中の、これは1番筆頭の曲ですよね。更に、下田と組んで作った最初の名曲の1つだと思いますけどね。

Rolling Stone Japan 編集部

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