屈指の存在感と歌唱力の持ち主、桑名正博をプロデューサー寺本幸司が語る

留置所で生まれた名曲

・桑名正博「月のあかり」


田家:お聴きいただきましたのは前テーマでもお聴きいただきました「月のあかり」です。

寺本:話は前後しますが、『Who are you?』を出して、「哀愁トゥナイト」で20万枚くらいのセールスをして、バックオーダーがどんどん入ってくる時期に、桑名が大麻で捕まったんですよ。この話はあまりラジオでしたくない場面なんですけど、しなきゃならないのでしますけど、捕まった西麻布署から歩いて5分もしないところに僕の事務所があったんですけど、そこの留置所に収監されるわけですね。1週間くらい経ったあとに面会しました。1番始めに寺本さんごめんなさいっていうから、謝るとかっていうよりも「大丈夫か?」って言ったら小声になりまして「いい曲ができました」って。何もすることがないし、1人で独房の中にいるとき、こんな曲ができましてって、僕の目の前で小声で歌ったのが「月のあかり」なんですよ。もうフルコーラスできている。ちょっとゾクゾクっとして、そこにいる収監人がずっと見ていて、サビになると大きな声になるじゃないですか? そろそろ時間ですって言われ、そこで桑名と僕は別れて下田に連絡して、すっごくいい曲を作りやがったよって話をした。そのあと出てきて、RCAの大きな客間で5、60人の記者とか集まって、テレビもきたから、そこで僕は一言、「罪を憎んで人を憎まずといいますけど、桑名の才能は世間で十分仕打ちもうけていますし、よろしくおねがいします」って言って。変な言い方ですけど、明くる日の記事もそんな悪くなかったんですよ。ほっとして半年くらい経つかどうかで、桑名が懲役2年の3年の執行猶予だったんですけど、執行猶予期間中に小杉理宇造から筒美京平さんと松本隆さんが、桑名さんが消えてしまうのはあまりにもったいないから、ぜひ1枚レコードを出そうと言ってきたんだよっていう話があって。僕はまさかまだ執行猶予期間中だしと思ったけど、寺本さんの記者会見がよかったみたいで、桑名の人柄もあるし、そんなにヘビーな空気もないしっていうので、桑名を大阪から呼んで作ったのが『テキーラ・ムーン』っていうアルバムなんですよ。

田家:今だから明かせる制作秘話。「月のあかり」ができたときには、こんなふうにずっとその後桑名さんの代表曲として歌い継がれ、聴きつがれる曲になるだろうなって直感はありました?

寺本:思ってはいなかったですね。ただ、なんでこんな曲ができたんだろうというほうが強かった。でもすごい曲が生まれた、そういう体験。人間は体験ほど強いものはないというのは思っていたので、客観性は持っていなかったですね。

田家:歌い継がれる曲、名曲とはそういうものなのかもしれません。お聞きいただいたのは桑名さんの78年のアルバム『テキーラ・ムーン』から「月のあかり」でした。

田家:そして、流れているのは『テキーラ・ムーン』から「薔薇と海賊」であります。寺本さんはこれを選ばれました。

寺本:これは桑名がいわゆるカムバックするときに作った『テキーラ・ムーン』の中ではじめからこれをシングルでって感じで、出来上がった曲です。

田家:さっき「月のあかり」が出たときに、これが稀代の名曲になるとそのときはなかなか思えなかったとおっしゃって。アルバム『テキーラ・ムーン』には「月のあかり」が入っていますけど、シングルにはしていないですもんね。

寺本:カムバックするにあたって、うまく桑名がカムバックするためにヒットメイカーの筒美京平さんと松本隆さんと組むと決めたんだから、この2人とやるところまでやろうというときに「月のあかり」という名曲ができてしまった。どちらかというと僕としてはこっそり『テキーラ・ムーン』の中に入れた曲でした。

田家:『テキーラ・ムーン』は全9曲なんですけど、松本隆作詞曲が7曲入っていますからね。下田さんの曲は「オン・ザ・ハイウェイ」と「月のあかり」の2曲だけなので、やはり筒美京平、松本隆でカムバックするんだという。

寺本:それは我々というかRCAを含めたみんなの方針でしたから。そういうふうに決めて出したんです。きちんと聴いてほしいんですけど、なかなかの詞なんですよ。この詞をこのリズムで桑名がよく歌ったなというふうな意味では、ヴォーカリスト桑名の僕にとっての自慢の曲でもあるんですけど、戸惑いもありましたね。こっちの世界にいくのかって感じもありました。

田家:そういう意味ではロックスターというんでしょうかね。毛皮を着たり、キャデラックに乗ったり、ワインを飲んだり、プールサイドにいたりみたいな。フィクションのほうに行った感じもありましたね。

寺本:そうですね。そこに生身が見えてこないって感じはして。自分の中でも不安があったことを、今この曲を聴きながら思い出しますね。

田家:え、そういうのは不安だったりもするんですか。

寺本:不安ですよ。やっぱり曲の印象って強いですからね。どんな曲であってもそれを桑名が見事に捕まえて歌っちゃっていますからね。桑名の挑戦欲は半端じゃないから。また世の中に内田裕也さんから電話がかかってくるんじゃないかって(笑)。

田家:お前は桑名をどこにつれていくんだって。

寺本:そうそう。

田家:世間的な反応はどうだったんですか?

寺本:「哀愁トゥナイト」ほどの動きは見せなかったんですけど、やっぱり桑名がすごいなって感じになった。ただ、このあと「サード・レディー」「スコーピオン」とシングルで桑名の名前がどんどんあがっていく中で、大阪の根強いファンは、むしろ「月のあかり」に埋没していく。2000人くらいのお客を呼べるようになって大阪のフェスティバルホールがほぼ満員のときに、前のほうは濃い桑名ファンがいるわけですよ。「薔薇と海賊」を歌い出すとブーイングが出てきたりするんですよ。

田家:あらあらあら。

寺本:ところが、「月のあかり」になるといえーいとかいって、静かな曲なのにみんな立ち上がって聴くみたいな感じがありましたね。

田家:そういう意味では「月のあかり」はお客さんが育てた。

寺本:というのもあるし、内田裕也じゃないけど、寺本が桑名を歌謡ロック界のスターみたいな形で売りやがったみたいな空気はいまだに遠くから聴こえてくる感じがしますね(笑)。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE