屈指の存在感と歌唱力の持ち主、桑名正博をプロデューサー寺本幸司が語る

70年代最後の頂点「セクシャルバイオレットNo.1」

・桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」


田家:今日最後の曲、寺本さんが選ばれた7曲目「セクシャルバイオレットNo.1」。作詞松本隆さん、作曲筒美京平、5枚目のシングルで79年7月発売。シングルチャート3週間1位。そういう意味では70年代最後の頂点っていう感じでしょうかね。

寺本:そうですね。この曲で思い浮かべるある場面があるんですね。桑名が捕まってカムバックして東京に呼び戻すときに、大阪の桑名の父親の桑名正晴社長に呼ばれたんですよ。新地のクラブでお会いして、「寺本くんね、あんたは、ああいう事件を起こして、引退させて、もう一回、そういう夢を見させるのか。うちはともかく正博に跡を継がせたいんだ」って言われたんですよ。

田家:また引きずり戻すのかと。

寺本:そうです。そのとき僕は「いや、お父さん。このまま泣き寝入りしたらあの才能が腐ってしまうし、もう1回チャレンジさせてください。そうじゃないと僕も桑名正博も周りにいる方々も終わりにできない」って話をしたときに、お父さんが言った一言が「だったら日本一に」と。「しろ」じゃなくて「日本一に」で切るんですよ。こちらも気持ちが昂っているから、わかりました! って返事しちゃったんですよ。

田家:やっぱり威圧感があったんでしょうね。社長は(笑)。¡

寺本:それまでのシングル盤もまあまあいったけど、もっと外で勝負したいときに小杉理宇造からカネボウの化粧品のタイアップの歌があるからどうだって話がきたんですよ。もちろん筒美京平さんと松本隆で。そのとき考えましたね。たしかに矢沢永吉もやっているし、堀内孝雄もみんなやっていて、やれば売れるとはわかっているけど、これこそこれをやった日には内田裕也さん一派から棍棒をもって殴り込みがかけられるんじゃないかという気持ちも半分あったし、そのとき耳にあったのはお父さんの「日本一」。これをやれば日本一になれる可能性っていうのは90%はある。わかったやりましょうと言ってできてきた曲を、仮歌を作って聴いたときに、さすが日本のNO1のプロの仕事をした松本隆と筒美京平さんに頭が下がりましたね。ところが桑名がね、「薔薇と海賊」あたりから「薔薇を敷き詰めるって寺さんどういうことや?」「なんで薔薇がいんねん」っていうやつなんですよ(笑)。いろいろ注文をつけてくるわけですよ。もう嫌味って感じでね。そのとき、東神奈川にあったカネボウの工場に桑名を連れて行ったんですよ。こういう曲を作りました、という挨拶も兼ねて。そこで働いている女性とかみんな集まってくるわけじゃないですか、桑名が来るわけだから。彼女たちに仮歌を聴かせて、詞を見せたんですよ。「皆さん方、この口紅をどういう方に使ってもらいたいですか、どういう方に口コミしてもらいたいですか?」と言ったら、「この歌の主人公です」って言ったんです。

田家:おお〜。

寺本:そしたら桑名が「わかりました。僕がんばります!」って言って、歌を入れ直して出来上がったのがあの曲なんですよ。

田家:松本隆さんも最後まで悩んでいた。なんでかというと、キャッチコピーが先にあるこんな当たり前の歌詞を書きたくないと、悩みに悩んで最後にふっきって書いた。

寺本:そうなの。そういうストーリーも知らなかったから。「セクシャルバイオレットNo.1」だぜっていうところがあって。僕なんかは尻込みした部分だけど、できてきたものは相当すごいものでしたよ。

田家:松本隆さんも最後の“もう迷わないっ”ていうのは僕の心境なんだよって。この番組で特集した時に言われてました。

寺本:あははは。そうなんですね。

Rolling Stone Japan 編集部

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