元ZIGGY大山正篤と手島将彦が音楽業界のメンタルヘルスを語る

─大山さんは現在もバンド活動をされているので、ミュージシャンの方と接する機会も多いと思うんですけど、身の回りの方でも悩んでいるなと思う人はいらっしゃいますか。

大山:僕の周りのミュージシャンたちや、そのご家族もそうなんですけど、年齢的に、発想的な部分でもだんだん衰えていくみたいなところにストレスを抱えている人もいれば、家庭の問題や生活の問題であったり、何歳までこれできるんだろうというような、いろいろな種類の悩みがある。ただ、プライドがあるのか、そういうミュージシャンは今のところ1人も相談に来ていないですね。明らかに悲鳴が上がっているのが見えるわけですから、話してくれたほうが楽になるとは思うんですけどね。

─大山さん自ら声をかけるというのは、また違うんですよね。

大山:この仕事は、ある意味灯台になってないといけないと思っていて。僕はここにいるから、いつでもここに来ていいよというスタンスを守らないといけない。そのへんで、ちょっとモヤモヤすることはあるんですけどね。周りの後輩ミュージシャンとか、結構歳の離れた後輩ミュージシャンが何人か問い合わせをくれたんですけど、同世代のやつらは意地でも来ないです。意地を捨ててしまえばすごく楽になるのに。ここでも声を大にして言っておきます、おっさんミュージシャン、おばさんミュージシャン、そしてそのご家族のみなさま、あなたたちが率先してカウンセリングを受けに来ましょう、と。

─大山さん自身、ZIGGY時代は売れていく規模や速度が桁違いだったと思うんですけど、その中でのストレスや苦悩というのは相当だったんじゃないでしょうか。

大山:その時って、走りっぱなしだから分からないんですよ。僕の場合は、脱退して、ふーっと息ついて振り返ってみたときに、「あれ、きつかったな」と気づいて。曲を作って、アルバムを作って、ツアーをして。ツアーの合間にも曲を作って、ツアーが終わったら、また曲を作ってレコーディングをして、ツアーして。ずっとそのルーティンでした。自分がどこにいるのか分からなくなってくるんですよ。今でも覚えているのは、ツアー初日に森重(樹一)くんが、「行くぜ! 京都ー! 京都カモーン!」って言ったんですけど、名古屋だったんですよ(笑)。それ以降、足元のモニターに「本日は広島」とか大きく書かれるようになって(笑)。

手島:ツアーの話で言うと、最近CDが売れないからということで、ライブの時代だよねと言われるけど、ミュージシャンみんながそういうタイプではなくて。楽曲を作るのが好きという人もいるし、ライブはいいんだけどツアーはやらないとか、いろいろなケースがあると思うんですよね。

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