東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

「40過ぎのおっさんがもう一回成長できたっていう実感もありました」

ー震災の半年後の2011年9月には、東北ライブハウス大作戦のホームページが立ち上がり、AIR JAM 2011が開催され、1カ月後にはBRAHMANが全国ツアーに出てと、一連の流れが出来ているように見えましたが。

TOSHI-LOW:無理やりシナプスをつなげちゃった部分もあると思うんですけど。何かをしなきゃと思ってた人が多いし、何ができるんだろう?っていうのを考えてたと思うんです。おまえのことなんて信用もしてないし、好きでもないけど、あの大きな震災の元であればやってやるよって。初めはそれだったと思うんですよ。でもそれで充分だったし、それがどんどん培われていって、X JAPANまでつながったわけじゃないですか。それって、まだ人間に残されてるヒューマンドラマとしては、夢のある話だなと思うんです。

ー西片さんはそこで音楽の持つ力、ライブハウスの力、バンドマンの力を信じていたんですよね。

西片:バンドマンは仲間だから信じてたけど、音楽で何ができるのかは俺は全然わからなかったですね。今となっては音楽の力を感じるところはありますけど。その時被災地にあったのは、仮設住宅とか強制的に当てがわれたような場所だったから。自分の意思で集まれて、仲間作りができるような場所が必要なんじゃないかなって思ったのがライブハウスだったんです。俺自身もライブハウスでみんなと知り合うことができたし、仲間になれたので、そこは思いましたね。

TOSHI-LOW:ライブハウスを作るっていう目的を明確化したのはスゴく大きいと思うんです。

西片:逆に考えると、ライブハウスしか作れなかったんですよ。


©︎東北ライブハウス大作戦


©︎東北ライブハウス大作戦


©︎東北ライブハウス大作戦


©︎東北ライブハウス大作戦

ー震災がバンドマンに与えた影響はどのように見ています?

TOSHI-LOW:むちゃくちゃふるいが、わかりやすくかけられたんじゃないですか。スゴく威張ってる人が一目散に逃げたり、「何でも言って」って言ってた人が、何か言ったらいきなり連絡を寄こさなくなったり。それが露骨だったので、俺はかえって良かったなと思って。でも、人間って変わるものだし、「今だったらやれる」って言ってくれて、また仲良くなる人もいるので、拒絶してるわけじゃないんです。良い時は誰でも良いわけじゃないですか。でも、やっぱり悪い時とか本当に大変な時に声をかけてくれた人には感謝しますよ。逆に、そこで一生の宝みたいな人たちも増えたので。

西片:東北ライブハウス大作戦の活動を通して得たものの方が多かったと思いますね。40過ぎのおっさんがもう一回成長できたっていう実感もありました。起きなければ良かった震災ではあるんですけど、最悪の状態のところでどう踏ん張れるのか、手探りではあったんですけど、つかめるものはあったと思うんです。そういうことを良い経験としてとらえられる考え方になれたっていうのは大きいですね。

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