JAGATARAのOtoが語る、江戸アケミが残したメッセージとバンドの過去・現在・未来

1982年4月4日、『反核ライブ』に出演した暗黒大陸じゃがたら。当時の白黒写真をColouriseSGでカラー化(Photo by Junichi Uchimoto)

2020年1月、伝説のバンドがJagatara2020としてカムバック。復活劇の中心を担ったメンバーのOtoに、2万字のロングインタビューを実施した。聞き手は音楽ライターの内本順一。

江戸アケミさんの葬儀のあと三鷹の駅へと歩く帰り道は、ひとが歩いていなくてずいぶんと寂しかったし、何よりとても寒かった。あれからもう30年が経つ。

「二〇二〇年は江戸アケミの三十回忌にあたる。情況が良ければ、なんらかの形で“じゃがたら祭り”をやりたいと密かに思っている。まあ、アケミも言っていたように、別に“じゃがたら”の名前は必要ではないけれど。みんなでつながることこそが大切だからね。そのときにふさわしい呼び方でいい」

2014年12月に出版されたOtoさんの『つながった世界 — 僕のじゃがたら物語』にその一文があったのを僕は覚えていた。そして、それが実現した。相応しい呼び方は「Jagatara2020」。江戸さんの30年目の命日にあたる2020年1月27日に渋谷クラブクアトロで、Jagatara2020『虹色のファンファーレ』と題された公演が行われた。多数のゲストがじゃがたらの曲を歌ったり演奏したりしたが、そのなかのひとりである鮎川誠さんが「今日はアケミの追悼だけど、“新しいじゃがたらのお祭り”みたいだね」と言った。Otoさんが意図した通り、それはまさに“新しいじゃがたらのお祭り”だった。

2019年3月16日に渋谷クラブクアトロで開催された「TOKYO SOY SOURCE 2019」で、じゃがたらはJagatara2020として蘇り、最後にOtoさんからアナウンスされたのがこの「虹色のファンファーレ」と題された公演だった。その間には熊本に住むOtoさんを除いた何人か(CO-JAGATARA)での、下北沢の小さなお店でのライブもあった。そして12月にはじゃがたら(暗黒大陸じゃがたら~JAGATARA)の過去作品のサブスクリプション配信がスタートした。つまり、じゃがたらの音楽が世界に開かれたのだ。また『南蛮渡来』『裸の王様』『君と踊りあかそう日の出を見るまで』がアナログ盤で復刻(『君と~』はCDも)。新曲2曲と未発表ライブ音源3曲(+カラオケ2曲)を収録した新しいCD『虹色のファンファーレ』と、メンバーのインタビューなどを収めたムック『じゃがたら おまえはおまえの踊りをおどれ』も発売された。


「虹色のファンファーレ」にて(Photo by 西岡浩記)

この一連の動きを通して新たにじゃがたらと“出会った”ひとも、もしかすると1月27日の会場にはいたかもしれない。この30年の間にじゃがたらの音楽と出会い、初めてライブを観るというひとはもっと多かっただろう。でも自分の肌感で書くなら、もっとも多かったのは80年代にじゃがたらのライブを何度か観ていたひとたちだったように思う。見た目以上に、曲に対する反応の仕方でそう感じた。自分も80年代に、追いかけるようにじゃがたらのライブを観に行っていたので、それがわかったし、そういうお客さんたちがなんだか同士のように思えたりもした。みんながいくつかの曲を一緒に歌い、わけても「もうがまんできない」は大合唱となった。ステージの上にいるひとたちも素晴らしかったが、下にいるひとたちも素晴らしかった。上も下もなく、JAGATARA2020とはここにいるみんなのことなんだと理解した。


Oto(Photo by 西岡浩記)

その公演の翌日、渋谷LOFT9で行なわれたトーク&アコースティックライブ「Jagatara2020 ナンのこっちゃい生サロン~お前たちはお前たちの仲間を作れ」に参加し、そしてその翌々日にOtoさんと会って話を聞いた。クアトロ公演のこと、江戸アケミさんの残した言葉のこと、新しいCDのこと、いまとこれからのこと。

じゃがたらと新たに出会ったひと、もう一度出会い直したひと、心にずっとじゃがたらがあり続けたひと。すべてのひとに読んでもらいたい。

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