殺されたセックス・セラピスト、ハリウッドの光と影に翻弄された人生

生前のエイミー・ハーウィックさん(Photo by Robert Coshland)

それはバレンタインデーの深夜の出来事だった。エイミー・ハーウィックさん(38歳)が、バーレスクのパフォーマンスを観に行って帰宅したところだった。彼女は親友のロバート・コシュランド氏に今度のイギリス旅行について携帯メールを送った。彼は人から薦められたエジンバラのレストランのリンクを送った。午前1時1分、よさそうなレストランね、と彼女は返信した。

それから15分後の午前1時16分、ハリウッドヒルズにあるハーウィック宅から女性の叫び声がしたという通報が警察に入った。通報したのはハーウィックさんのルームメイト。警察はバルコニーの下に倒れているハーウィックさんを発見。呼びかけても反応はなかった。彼女は首を絞められ、3階の自室の窓から突き落とされていた。ただちに病院に搬送されたが、頭部および胸部への鈍器による損傷で死亡した。死因から、のちに殺人事件と断定された。

土曜日の午後、ソフトウェア・エンジニア兼写真家で、新進気鋭のコメディアンだったギャレス・パースハウスが逮捕され、保釈金200万ドルで拘留された後、殺人罪1件および第1級住居侵入窃盗、そして待ち伏せの罪で起訴された。有罪となれば、仮釈放なしの死刑または終身刑が求刑される。罪状認否は4月16日の予定だ。彼の公選弁護人、ロバート・バーンスタイン-レヴ氏は、ローリングストーン誌に宛てた声明でこう述べた。「パースハウス氏は、判決が下るまでは無罪と推定されます。検察側には、憶測や噂、あてこすりではなく、有力な証拠をもって、裁判で彼の有罪を立証するという重責が課せられております。いかなる正当な疑義もすべて解消されなくてはなりません。パースハウス氏の代理人および弁護人として、法廷でこれらの嫌疑に挑むことを大変光栄に存じます」

写真4点:エイミー・ハーウィックさんと元婚約者ほか

41歳のパースハウスのことは、ハーウィックさんの長年の友人たちもよく知っていた。2010年代、彼とエイミーさんは4か月ほど付き合っていた。2人の関係は悪い形で終止符を打った。彼は暴力的で支配力が強く、エイミーさんは2011年と2012年の2回、裁判所に彼の接近禁止命令を請求した。それ以降、エイミーさんは時々会話の中で彼を「私のストーカー」と呼んだ。だが友人らの話では、彼女は短命に終わった恋愛のトラウマから立ち直ろうと努力していた。多忙かつ華麗な人生を送るうちに、彼の存在も薄れていった。彼女は彼のことをすっかり忘れたが、ロサンゼルス郡地方検察局が主張しているように、彼のほうは彼女のことを忘れていなかった。

顔を合わせる程度の友人の目には、彼女は絶世の美女として映った。いつもばっちり着飾って、バーレスククラブやゴーゴーバー、展覧会やメタルのコンサートに姿を見せた。会員制のパフォーマンススペースで、地元のマジック業界の聖地Brookledgeのパーティにもよく来ていた。「彼女はエレガントな装いに、ゴスの要素を盛り込んでいました」と、社交界仲間の1人は言った。「まさしく、大人になったアダムス・ファミリーという感じでした」

だが、ハーウィックさんの親しい友人らの間では「聡明で好奇心旺盛な女性でした」と、ミュージシャン兼ギャラリーオーナーのトーマス・ネゴヴァン氏は言う。彼女はしっかり者で、活動的で、自分で学費を払いながらペッパーダイン大学で修士号を取得した。ヒューマンセクシュアリティ高等学術研究所で博士号を取得する傍ら、モデル、バーテンダー、火吹きパフォーマンス、ゴーゴーダンスなど、いくつものサイドプロジェクトを掛け持ちした。彼女はダークなものに惹かれた。チャールズ・マンソン・ファミリーに殺されたシャロン・テート(前に故人のブラをオークションで購入した)、剥製、フィラデルフィアのムター博物館に展示されたホルマリン漬けの臓器(フィラデルフィアに行ったら絶対行ってちょうだい、と友人に勧めていた)。グロテスクなものや不謹慎なものに対するこうした情熱は溢れんばかりだった、と言うのは、ハーウィックさんの長年の友人でセックスセラピストのヘルナンド・チャベス博士だ。「ダークサイドが彼女を生き生きと、ハッピーにさせていました」と博士。「人生で一番つらい時期でも、彼女は常にエネルギッシュでした」

Translated by Akiko Kato

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